テレビと土建屋


制作費(テレビ局受け)2000万→制作現場400万


関テレ・ねつ造事件でがんばっている毎日新聞が一昨日から『テレビのうそ」と題した特集を組んでいる。それによると

在京民放社員の平均年収が1400万円前後なのに、実際に番組を作る制作会社のスタッフは300〜400万円と言われる
毎日新聞、2月17日『テレビのうそ』)


なるほど民放社員が高給を得ているのは、制作費を思いっきりピンハネして制作を下請けに丸投げしているから、ということか。構造は土建屋、ソフト業界とまったく同じわけだ。つまり、元請けがピンハネして下請けに丸投げし、下請けがさらにピンハネした上で孫請けに丸投げする。


思いっきり削られた制作費と、おそらくは滅茶苦茶タイトな日程を押し付けられた孫請けの制作プロダクションでは、どうしても高い品質をキープしようというモチベーションが欠けがちになる。もちろん、彼らが最初からいい加減な仕事をしているというわけではない。おそらく現場で制作にあたっているスタッフは、その仕事を好きでやっている人たちが多いはずだ。だから、相当厳しいギャラだとしても「自分はこれが楽しいのだから」というある種の使命感をもって仕事に取り組んでいると思う。


そうした人たちをうまく利用し、踏みにじるように存在しているのが民放各局であり、その下請け会社だという構造になっているのだろう。その体質が如実に現れているのが、今回関テレがお上に提出したというレポートではないか。制作したのは孫請けである、すなわちねつ造の責任は孫請けの制作会社にあるのであり、自分達には責任はないといった主張がなされていたと聞く。


では、ここで一つ伺いたいのだが、テレビ局、ないしは下請けが中抜きしたお金は一体、なにに対する対価だというのだ。対価というのは、何らかの価値を誰かに提供したからこそ得られるものではないのか。この場合なら、孫請けが制作した番組に対する責任を負う、あるいはきちんとした品質のものを創りだす管理責任を持つ。それがテレビ局、ないしは下請けがそれぞれ対価を得る代わりに提供する価値だろう。


それを責任は取らない。お金をしっかり抜き取る。では、単なるドロボーではないか。確かに仕事を獲ってきた奴が偉いのはわかる。だから、仕事を獲ってきたことに対する対価を取るのは構わない。が、それが全体の8割はどうなん? と思いませんか。


逆にいくら制作が好きな人たちが集まっているとはいえ、末端の制作会社がそれだけの悪条件を押し付けられ続けて、常に高いモチベーションとモラルを保ち続けられるのかとも疑う。ことはマンションの耐震偽装や最近ボロボロと発覚している手抜き工事と同じ構造に根付いた問題だろう。


であるなら、構造改革が必要なのではないか。諸悪の根源は、テレビ局によるえげつない中抜き&無責任体質にあるのだから、ここを一掃すればよい。つまりテレビについて番組制作と放送を分離すれば良い。というか放送局による番組制作に法的な制限を付ければどうなのだろうか。


もちろんすべてのテレビ番組をテレビ局が制作できないとなれば、ニュースなどで問題が起こるだろうから、それぐらいは良しとして、リアルタイムの報道番組以外の制作にテレビ局はタッチできないようにする。ということが、もしできればテレビ業界の構造改革が実現すると思うのだが、どうだろうか。


あるいはスポンサーサイドから圧力をかけてもらう。たとえばスポンサーが共同で制作を割りふる代理店を作り、制作にテレビ局が一切噛めないようにする。無理かな。そんなことをやろうという人がどこかに出てきはしないだろうか。これ、ビジネスモデルとして成立すると思う(要するに誰に、どんな価値を、どんな仕組みで、どんな対価でがはっきりしている)のだけれど。しかもスポンサーも現場で制作にあたっているプロダクションにも、もちろん視聴者にもメリットがあると思う。


いずれ、既存のテレビビジネスが崩壊する可能性があるのだから、そこには新しいビジネスのチャンスがあると思う。誰か、やりませんかね。



昨日のI/O

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・組手立ちでの移動稽古(スイッチを意識して)
・前屈立ちでの移動稽古
・騎馬立ちでの移動稽古
・ミット稽古(スイッチしての蹴り、突き)
・組み手稽古
・補強

スイッチしての体重移動を使った突きは自分の今のテーマの一つ。まだまだ体が、その動きに練れていないことがよくわかる。ここは繰り返し練習が必要なところだ。

組み手でのいまの課題は、接近しての突き。上段だけはきちんとカバーし、中段への突き・蹴りは角度を変えて受ける。そして相手が攻めを出す瞬間、あるいは攻めからの引きに合わせて突きを出す。とイメージはできているのだけれど、まだ相手に反応しようとしている。これじゃぜんぜんダメですな。相手の攻めをコントロールできるところまで位取りを持っていかないと。