デザインは引き算


A4見開き。真っ白な誌面のセンターに、小さな文字でコピーが一行だけ


「白場を活かせ」「余白を考えろ」「デザインは引き算だから」「センスではなくロジック」「伝えたいことを絞り込めば、デザインはできる」


以前勤めていたデザイン事務所の社長から、いわれ続けていたこと。いいたいこと、伝えたいことがたくさんあるのはわかる。わかるけれども、それを全部、一度に伝えようとするのは伝える側の傲慢でしかない。すべてを本当に伝えたいなら、つまり相手にきちんとわかってもらいたいなら、一度に伝えるメッセージは一つだけに絞れ。


だからたくさん伝えたいなら時間をかけなくてはいけない。それがコミュニケーションの本質だ。相手とわかりあうためには、どうしても時間がかかるのだ。


日経MJ新聞にあった『余白の美学』という記事(日経MJ新聞2月21日)を読んで、昔のレッスンを思い出した。


そのデザイナー社長に、たった一度だけ誉められたことがある。それが冒頭のデザインだったというわけだ。たしか、どこかの会社案内のプレゼン用に作ったラフデザインだったと記憶する。


たぶん16ページ仕立てぐらいの最初の見開きに、その企業のコンセプトコピーを一行。ゴナBかゴナEの太めの書体を使い、12Qぐらいの文字で流す。それ以外は真っ白、何もなし。もちろんそのコピーは詰め打ちした上で、さらに細部を手貼りで微調整をかける。やはり「神は細部に宿る」のだ。


その見開きを作るだけでも、たぶん半日ぐらいはかかったんじゃないだろうか。写植の大きさが微妙にビシッと来ないから、何回もコピーをとって大きさを変えてみたりして。何しろ、その当時勤めていたデザイン事務所では「もう、コンマ2ミリ動かしてごらん」なんていい方が流行ってたりした。これは社長が最終のデザインチェックをするときによく使うフレーズで「コンマ2ミリ」から「コンマ5ミリ」ぐらいの数字がよく引き合いに出された。


そんなんで何が変わるねん、と思うでしょ。ところが、これがやはり違うのですよ。というような話をしても、わかる人はほとんどいないのだろうけれど。


デザインをMac&モニター上でするようになって、何が一番変わったか。デザインに対する基本的な姿勢ではないだろうか。つまり引き算から足し算・かけ算への移行だろう。


Macがなかった時代は、けい線一本引くのも面倒な作業だった。まずどれぐらいの太さのけい線にするのかを考えないといけない。ロットリングやさらに古い人などは烏口を使って線を引くわけで、これは一度引いてしまって、やっぱりもう少し細い方がよかったなと思っても、そう簡単には引き直せないのだ。モニター上なら一瞬だけれど。


あるいはさまざまな装飾的な模様を描こうとすれば、雲形定規を使ったりと大変な手間がかかる。そうした制約条件もあって、うちの社長は「デザインは引き算だ」といってた面もあるのだろう。とはいえ「ここにワンポイントで花の柄を、スミ20%ぐらいで」なんて面倒な指示も出していたから、ただ引けば良いと考えていたわけではないはずだ。


引き算は大原則なのだが、削りに削った上で残ったエッセンスを、キラリと光らせるために、たとえば色を加えたり、ちょっとしたあしらいを施したりは必要なのだ。そこにはセンスが問われる、ともいっていた。


ところがMacを使えば、模様もけい線も写真の加工も好きなようにできてしまう。それもほとんど瞬時に。そんな便利な道具が使えるとなればデザイナーは、これまで制約がきつかっただけにいろんなことをやりたくなる。たとえば曲線に文字を沿わせたり、なんてデザインは、写植を一文字ずつ切り貼りすればできないことはなかったけれど、そんなの一日がかりの作業だったのが、一分でできちゃう。


やらなくてもいいデザインをどんどんモニター上で試行錯誤するうちに、手を動かす前に考える習慣がなくなっていったんじゃないだろうか。もちろんそうやって鬼の様な試行錯誤を繰り返す中で、突き刺さる表現に行き当たることもあるわけだから、それを否定するわけではないけれども。


ただ日経MJ新聞の記事によれば、キリンビールの新製品『キリン・ザ・ゴールド』のパッケージデザインにあたったデザイナーが

「いいたいことはたくさんあるが、ありすぎると伝わらない」

と考え、さらには

従来の発想から脱却するため、思いついたのが日本画だ。日本画は画面の構成だけで余白部分を川岸に見せたり、空に見せたりする。余白を多くすれば、若者が何かをイメージしてくれるのではないかと考えた。

という。


この言葉にはもしかしたら、かなり深い含蓄が含まれているのではないだろうか。要は、デザインをMac&モニターで完結させるようになって、過剰装飾プラス過剰説明があふれかえっている。だから受け手が自分のイマジネーションを広げることがない。それが創造力欠如につながっている。


もし、そうだとしたら、これからは余白の美学をもっと考えるべきだ。そのためには引き算のデザインを復権させることである。



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『プロフィットゾーン経営戦略/エイドリアン・J・スライウォッキー』
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