プロフが意味する風景


首都圏で70%、全国でも50%


女子高生のプロフ所有率である。プロフとは、携帯電話で自己紹介するためのホームページだそうだ(日経産業新聞3月22日)。これが女子高生の間で大流行しているという。というか首都圏ならすでに「自分のプロフ持ってない子、なんてありえねぇ〜」状態ということではないか。知らなんだ。


プロフ、すなわちプロフィールの略である。プロフサイトにアクセスして用意された質問に答えていけば、ごく自然な流れの中で自分のプロフページを持つことができる。その質問内容は40〜100問にも及ぶ。住所、年齢、氏名から好きな食べ物に趣味、タレントまで微に入り細を穿った質問に、意外にも女子高生の多くがていねいに答えるという。


トドメが自分の顔写真だそうだ。そこまで個人情報をさらけ出して大丈夫なんだろうか。とりあえず100もの項目について答えることを想像していただきたい。それって、ほとんど自分を丸裸にさらすことになりはしないか。しかも顔写真付きで。なんて恥ずかしいことであろうか。


もちろん、みんながみんな、質問に対して真っ正直に答えているわけでもないのだろうが(もしかしたら女子高生はストレートに答えているんだろうか)、それにしても自分で考えてプロフィールを作るのではなく、同じ質問に対してみんなが答えていくというプロセスに、妙な居心地の悪さを感じずにはいられない。


別にプロフィールは自分のスタイルで書いてこそ個性だろう、などと説教臭いことをいいたいわけではない。百もある質問に対して、恐らくは真偽を適当に混ぜ合わせながら、「人に公開されることを前提とした」プロフィール像を嬉々として(これまた推測の限りだけれど)書き込んでいる状況が何か気味悪さを感じさせるのだ。


もとより個人情報をさらけ出すことのリスクを彼女たちが知らないはずはない。日経産業の記事には

女子高生は自分のプロフを親にも教師にも、バイト先の店長にも教えない。大人に見せるシチュエーションが出てこないので、自分たち以外には漏れない。万一、おかしな人からメールが来るようになると、素早くメールアドレスを変えてしまう。その辺の回避術、処世術にはたけている
日経産業新聞『デジタル時評』3月22日)

とある。


これを以て記事では彼女たちはITリテラシーが高く、一方では対人コミュニケーションが低下していると結んでいるが、その指摘はおそらく正しい。


考えてみればプロフを交換するというのは、自己紹介をお互いにするということである。初対面の人同士が、それも一応、第一印象的には「こいつとは、絶対付き合いたくないなあ」とは思わない人同士が、とりあえず「私は、こんな人間なんですよ、どうぞわかってくださいね」というのが自己紹介というシチュエーションであろう。


メラビアンの法則によれば、コミュニケーションにおいては言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の影響力を持つという。だからパッと見の第一印象(=視覚情報)による関門をくぐり抜けて、感じ良さそうと思った相手に対して、次は聴覚・言語情報によるふるいをかけていき、その結果「これは良し」と思った相手とめでたく交流関係に入っていく。これが人間関係の始まりであり、だからこそ最初の交換儀式は重要なのだ。


逢って、話して、相手のいっていることを理解して、付き合うに値するどうかを判断する。これが従来型の作法だとすれば、プロフがこの作法を変えてしまう恐れはないのだろうか。


いや、プロフ誕生はもしかしたら、女子高生の間にある潜在ニーズを感の鋭い誰かが嗅ぎ取って開発に至ったのかもしれない。だとすると、すでに女子高生のコミュニケーション作法がそれ以前の世代とは変質し始めている可能性もある。その兆しは何となく感じないこともない。


極論すれば彼女たちは、コミュニケーションの本筋をケータイメールでやり取りする。そこではおそらく、いったん頭の中に浮かんだ考えを言葉に置き換える作業を介するので、ある程度はきちんとした(相手とかみ合った)コミュニケーションが行われる。ところが、面と向かいあって話をするとなると、瞬間的にコンテキストを読み自分の考えを的確な言葉に置き換え口から発することができない。


であるがために、会話はとめどなく上滑りしたトーンでしか行われない。そこで多く使われるのが「別にぃ」とか「ビミョー」なる意味不明の言葉である。とはいえ彼女たち以外のクラスターに属する人間にとって意味不明なだけで、彼女たちの間では、その言葉が発せられるニュアンスによって「激しく同意」から「激しく拒絶」までのいろんなレベルを示しているのではないだろうか。


もちろん、そうした微妙な差異を的確に感じとるためには、同じコミュニケーショングループに属していることが大前提である。そこにたまたま違うグループに属している(=違うコミュニケーション文法に支配されている)人と話さなければならない機会に追い込まれると、自分のいっていることが伝わらない&相手のいっていることがわからないイライラ状況に追い込まれ、いとも簡単にキレてしまう。


ということは会話によるコミュニケーションの能力が決定的に欠落していることになる。プロフが流行っている裏には、そうした心象風景があるのではないかと思った。


昨日のI/O

In:
Out:
VIERA』開発者インタビュー原稿


昨日の稽古: