団塊ドライバー、恐い


10年間で2.1倍


04年度までの10年間で、60歳以上のドライバーが起こした事故による死傷者は倍増している(毎日新聞4月1日)。ついでに引用しておくと

死傷者数を04年度と95年度で比べると、60代が運転する車では1.9倍、70代3倍、80歳以上4倍と年代が上がるほど増えた。
毎日新聞4月1日)


そりゃそうだろう。なぜなら高齢者ドライバーの絶対数そのものが違うはずだ。たとえば95年の80歳以上ドライバーの数と、04年度のそれとを比べてみれば、間違いなく04年度の方が多いと思う。95年に80歳ということは1915年生まれということ。ということは日本でモータリゼーションが盛んになりだした70年頃には、すでに55歳である。その歳で免許を取った人はそれほどいないはずだ。これが05年に80歳の人で考えれば、もう10歳若いのだから、免許取得者数も増えているに違いない。


ということは、これから高齢者が起こす自動車事故は、もっともっと、それこそ恐ろしいぐらい右肩上がりで増えていく可能性がある。


自営業・自由業なので、平日の昼間でもよく車を運転する。幹線道路ではなく、住宅地などの道を走っていてときに「恐怖感」を感じることがある。何が恐いのか。お年寄りの運転する車が恐いのだ。この恐さはおもに二つの原因からもたらされる。


その一。対向車線を走ってくる車がセンターラインを平気で無視していることがある。下手すると、こちらがそのまま走っていくと接触するぐらいに。もちろんクラクションを鳴らして注意すれば気がついてはくれる。だが、そもそもセンターラインを超えていること自体が恐いではないか。


その二。おそらくは車幅感覚が鈍っているからだろうが、後ろから見ているとすごく蛇行していることがある。左側に歩行者がいれば右側に必要以上に避け、逆に対向車が来ればこんどは、これまた相手がセンターラインをはみ出ているわけでもないのに左側に避ける。たぶんドライバー自身が「ぶつけちゃいけない」とこわごわ運転しているのだろう。そんな車の後ろを走るのが、また恐い。


ほかにも制限速度50キロぐらいの道でも30キロそこそこキープで走っていたりもする。もっともスピードについては制限速度の意味するところは、その速度で走れ、ということではないので、仮に50キロ制限のところを20キロで走っていたとしても文句を言う筋合いは法的にはない。ないけれども、迷惑なことは事実である。


そして問題は今後のことである。


これから、こういう高齢ドライバーがどんどん増えてくる。いまの団塊世代などは、まだまだ運転もシャキシャキされたものだろうから、彼らの運転自体をとらえて直ちにリスクとは感じるまでには到らない。が、これからのち、彼らは老いていく。老いるということは、誠に残念だけれども、いろんな体の機能が衰えることと同義である。当然、運転に必要なさまざまな機能も衰えていくだろう。


その結果どうなるのか。十年後ぐらいには、上に書いたような危ないドライバーが道にあふれる状況になるのではないか。


繰り返すが、いまの団塊世代は若い頃から当たり前に車に乗っていた初めての世代である。しかも歳をとって歩くのが大儀になってくれば、よけいに車に頼りたくなるのも当然のこと。さらに彼らの多くは、郊外の住宅地に居を構えているだろう。郊外の住宅地は車がないと、日常生活では買い物一つとってみても案外に不便なものだ。いきおい車に頼らざるを得ない。


ということは、今後は幹線道路を走るときよりも、生活道路を普通に走るときの方がもらい事故に遭う可能性が高くなるおそれもある。


というぐらいのことは、自動車メーカーは当然予測済みで、高齢者の事故対策を施した(要するに身体的機能の衰えをカバーする技術を搭載した)車の開発を進めているのだろう。そうしたハイテクカーが早く量産化されることを祈る一方で、個人的には終の住処をどこに求めるのかをそろそろ真剣に考える必要を感じる。


やはり歳をとった時には、日常生活は徒歩圏内で用が済むようなエリアに住まうほうがいいのかもしれない。もちろん、そのためには自然環境の良さはトレードオフしなければならないのだろうが。




昨日のI/O

In:
『私家版・ユダヤ文化論/内田樹
Out:


昨日の稽古:

※風邪気味のため稽古はお休み