チラシ依存症


特売価格情報オンリーからテーマ性チラシへ


チラシが変わってきている(日経MJ新聞4月16日)。単なる安売り情報ではなくテーマ性、たとえば今のシーズンだったら「新入学」、ちょっと前なら「お花見」といった案配で、そうしたテーマで全体を統一したチラシになっているという。


以前、ある新古車ディーラーのコンサルをやらせてもらっていたとき、社長さんがしみじみ言っていた。「チラシがムダなことはわかってるんです。でも、チラシを打たないと一台もクルマが売れなくなるんじゃないかって、恐怖症に駆られます」と。


スーパーなどでもチラシを打つことが当たり前となっている。だから、これからチラシをやめるなんて選択肢は、まずあり得ないだろう。そして、チラシといえばなにより大切なのが価格訴求であり、次が品揃えだ。とはいえ価格訴求も全面的に何でも安い、とはいえないわけで、そこに各スーパーの工夫がなされている。もちろん、主婦たちは数円単位の安さに敏感に反応するから、それなりにチラシの効用はある。


これに対して、たとえばアメリカのウォルマートなどでは一切チラシを打たない。なぜなら『EDLP、EveryDay LowPrice』を保証しているから。特売品などはほとんどなく、いつ来ても全品が間違いなく安おまっせというわけだ。西友を子会社化したときに、日本でもこのやり方を導入したが残念ながらうまくいかなかった。やはり日本ではチラシの力は強いようだ。


そのチラシの象徴的存在であるスーパーのチラシが遂に変わりつつあるという。なぜだろうか。


価格のことを一切訴求しないチラシで成功したことがある。ガーデニング屋さん、花屋さんのチラシである。ガーデニング屋さんのチラシは、施工事例を記事風に紹介するシリーズチラシとして展開した。お客さんの要望はどうだったか、リクエストに応えるために何を考え、どんな工夫をしたか。これを記事風に書く。さらには、その事例に関するガーデニングテクニックをコラム風にまとめる。


今ならテーマ性のあるチラシということになるのだろうが、当時は『ブランディングチラシ』と名づけていた。このチラシが意外にヒットした。年に5〜6回、一回ごとに内容を変えて打ったチラシをお客さんがずっと大切に持っていてくれるのである。そして「やっと、こちらに庭を頼めるようになりました」と、ショールームにそのチラシ集を持ってこられるのだ。


いうまでもなくガーデン施工は高額商品である。しかも趣味性がとても強い。そうした商品を価格訴求で勝負しても、戦略的にあまりメリットはない。こちらとしては狙いたいのは、付加価値を高く付けるからそれを正当に評価してくれる(=対価を支払ってくれる)お客様である。これに対して庭を価格訴求で売り出せば、寄ってくるのはやはり少しでも値切ったろうやないのというお客さんが多くなるだろう。


ブランディングチラシの話を新古車ディーラーのオーナーにもしたことがある。「なるほど、それは一理ある」と納得してくれ、では何を情報としてアピールすべきかとなった。チラシにそれぞれのクルマに関する情報を書いても仕方がない。なぜなら、クルマ情報は雑誌などであふれており、お客さんの方がよく知っているぐらいだから。だから徹底的に「新古車って何だ。どうして安いんだ」という内容を説明する戦術に出た。


これも効いた。


このときに思ったのが、情報の価値である。たとえチラシといえどもきちんとした情報が書かれていれば、その『情報を求めているお客様』には必ず届くということだ。これが核心である。


ではスーパーのチラシでお客様が求めそうな情報とは何だろうか。今晩のレシピじゃないんだろうか。全般的な傾向として、いまどきの主婦の料理力は、たとえば30年前の主婦と比べて落ちているとはいえないだろうか。冷凍食品が進化しておかげで、なんとかいろんなメニューを作れてはいるが、たとえばいま、煮魚をきちんと作れる主婦がどれぐらいの割合でいるだろうか。


あるいはもっとシンプルに、野菜の煮物でもいい。焼き物、揚げ物はともかく煮物はダシの取り方から微妙な熱のさじ加減まで総合的な料理力が問われる。そして煮物を作る能力はたぶん、直伝で教えてもらわないことには身につかない。あるいは鍋物だっておいしく作ろうと思えば、本当はそれなりのノウハウが必要である。


といったお料理情報がしっかり書かれているチラシ、なら読まれて当然。これからスーパーのチラシは、どんどん変わっていくんじゃないだろうか。そこではたぶん、ケータイチラシでの個別対応みたいなことが起こるんじゃないだろうか。


昨日のI/O

In:
『ざっくり分かるファイナンス/石野雄一』
新産業文化創出研究所・広常啓一氏インタビュー
対訳君ユーザーインタビュー
Out:
メルマガ
NPOミーティング議事録

昨日の稽古: