変わる=おもしろい


最速15.4秒、最遅12.3秒


百メートルと五十メートルの記録である。前者は大学一回生、後者は中一のときに計測された。今でこそ「空手やってます」なんて言ってるものの、小学生の頃は虚弱児といってもよいぐらいひ弱な子どもだったのだ。別に勉強ばかりしていたわけではない。今から40年近く昔のことである、歩く道はまだ半分以上が未舗装であり、いわゆるやんちゃ遊びをする場所はいくらでもあった。


そんな中を毎日、かけずり回って遊んではいたのだが、どうも走りは思うに任せなかったのだ。運動会の徒競走などではダンベベ(ダントツのべったこということですね)である。こればかりは持って生まれた速筋の弱さ故と諦めるしかない。とはいえ運動神経がまったくダメというわけでもなく、野球などは結構器用にこなすことができた。やはり自然のイレギュラーな環境の中で遊び回っていたおかげだろう。


ただ小学校高学年になると塾に行かされ、遊べる時間はどんどん減っていく。おそらくは中学校入学時点が体力的には最低だったのではないだろうか。何しろ入部した卓球部でまずやらされた体力テストでは、腕立てゼロ、腹筋ゼロ、柔軟ゼロ(とはいわないけれど、体の柔軟性はまったくなかった)。とどめが最初の体育の時間に計測された五十メートル走だったというわけだ。


しかし、人間の体は大したものだと思う。卓球部に入り、かなりハードに鍛えられるうちに(当時通っていた学校は中学、高校とも奈良県では常勝チームだった、ちなみに奈良県は全国でもっとも弱いとされていたけれど)徐々に体力もついてくる。一回もできなかった腕立て伏せや腹筋も一年続けるうちに50回ぐらいはこなせるようになり、短距離こそは一向に速くならなかったが、校内マラソンでは真ん中よりやや速いぐらいのポジションにまでなった。


自分が変わったことが明らかにわかるのだ。これはまず驚きであり、そして何とも表現のしようのない、腹の底からわき上がるような喜びを与えてくれた。こと運動についてはからっきしダメだった自分が、そこそこ人並みに勝負できるようにまでなったのである。純情無垢な中学生が、この変化を励みとしないわけがない。


そこからは通学に片道2時間弱もかかる不利な条件をものともせず、毎朝6時前には家を出て早朝体力トレーニングに励んだ。東大寺境内を走り、三月堂の階段をうさぎ跳びで上がり下りする。夜の10時ぐらいに団地の駐車場で一人サーキットトレーニングに汗を流したりもした。電車の中はつま先立ちで通す。風呂に入ったら、湯船の中で手首を振って鍛える。


おそらくは中三から高一にかけてがもっとも体力がついた時期ではないだろうか。自分の体が質的に変わったことを実感できた。中一から高二まで約500人が参加する校内マラソン大会(東大寺境内を二月堂まで駆け上がり、戒壇院まで駆け下りるかなりハードなコースである)では全校で15位に入るぐらいにまでなった。


その後、受験モードに入るとまたコペルニクス的転回を迎える。クラブを辞め、トレーニングも一切やらない。時間の流れるままに身を任せているだけで体は変わっていく、というかどんどん弱っていく。この頃なぜか「やせたい、やせるべきだ、やせてやる」とまた妙な方向に努力した結果、高三のときには体重45キロを切るところまでいった。卒業アルバムの写真を見ると、まあげっそりとやせている。思いっきり無理してみれば文学青年といえなくもないぐらいだ。


そんな栄養失調状態だったので頭にも十分には血が巡らなかったのだろう。現役での受験は見事に失敗した。


ここからがまた極端に振れる。あまりにもやせ衰えた息子を見て心配した父親が、それとなく『ゴルゴ13』シリーズを家に揃え始めた。なにしろ暇な自宅浪人である。こちらがそれをポツポツ読み出したタイミングを見計らって次は「これおもろいで」と大藪春彦の小説を持ってくる。


今にして思えば「タンジュン(単純)か」と突っ込みたくなるぐらいに、父親の作戦に見事にハマってしまった。今度は生活を一変し、毎朝5時起きで新聞配達、それが終わってからはひたすら勉強、そして夕方には筋トレとジョギングで締めくくり、晩飯は大藪ヒーローよろしくガッツリ食う。とまあ、オバカを絵に描いたような暮らしぶりへと転身した。


当然、またまた体型、筋力その他がみるみる変わっていく。何しろ体重45キロのほとんどオカマ状態からの変化である。19歳男子の通常体型に戻るだけでも大変化だ。という具合に自分が変わることの面白さを十分に楽しんでこれまでやってきた。


ただし変化するためには、やはり何がしかの努力が必要である。努力が楽かしんどいかと問えば決して楽ではない。ただ自分が変化するおもしろさだけは体が記憶している。だから少々しんどくても、何とかがんばってしまう。ましてや極端からの変化である。効果はすぐに出る。90点を100点に高めるのとは訳が違うのだ。ほぼ0点から30点、50点と上げていくのは実は簡単なこと。結果が50点でも、スタートがゼロなら改善効果は50ポイントもある。それが励みになる。


あまり普遍的な例ではないのかもしれないけれど、人は変わることができるし、自分が変わることほどおもしろことはないとつくづく思う。


変化の仕方は自発的、時間経過放任的、そして他発強制的の三つに大きく分けられる。もちろん人それぞれ好きずきだろうけれど、個人的にはやはり自発的変化がいちばんだ。昨日のエントリーに関係づけるなら、自発的に変わる面白さを追求することこそがバイタリティの活性化につながるんじゃないだろうか。


いまは情報があふれかえっているから、所詮変わったってしょうがないじゃないかとか、変わった姿なんで想像がついてしまうと思うかもしれないけれど、でも自分の変化を実感できればこれほどおもしろいことはないです、ほんとに。


ちょっとがんばる
しばらくつづける


だまされたと思って、やってみませんか。



昨日のI/O

In:
『遠い昨日/伊集院静
Out:
対訳君開発者インタビューメモ
廣常啓一氏インタビューメモ

昨日の稽古:

・レッシュ式腹筋、スクワット