日本語は非論理的?


日本語はダメな言葉?


三つ子の魂百までというが、多感な(本当か)青春期に刷り込まれた考え方に約30年、ずっと支配されてきた。森有正である。といっても、何のことだかさっぱり、という方が多いだろう。


ものすごく大雑把に説明すると、森有正(故人です)は、フランス文学者、哲学者である。東京大学を出た後フランスへ渡る。戦後間もなく、海外留学などほとんど誰もやらなかった時期のこと。そして森氏はそのままフランスに居着き、日本語の教師をしながら思索の日々を送り、最後までパリを離れることはなかった孤高の思索者である。


その森氏のテキストに初めて触れたのは、高校の現代国語の教科書だった。経験について書かれたエッセーである。正直なところ、授業はまともに聞いていなかったし、自分で読んでみても何を言っているのかはほとんどわからなかった。ただ、ノートルダムから光がこぼれる情景が見えるようなきれいな文章だと思ったことだけはいまでも覚えている。


その後、何がキッカケだったのかはもう忘れてしまったけれど、森有正信者となった。高三の夏ぐらいから浪人時代の一年半あまり、筑摩書房から出ていた単行本を次々と買って来ては、毎日必ず何ページか読むことを日課としていた。森先生の文章を真似して、毎日ノートに1ページは日記を書くことを自分に義務づけてもいた。


この時期に強烈にインプットされたのが(今にして思えば完全に誤解していたのが)、日本語はあまり論理的ではなく、ダメな言葉だと言う思い込みである。これもうろ覚えでしかないが、確か次のようなことを森先生は書いていた。「フランス語で日本語を徹底的に分析し尽くすことはできるけれども、その逆は敵わない。なぜなら、日本語にはフランス語の様な文法的、用語的厳密さが欠けているからだ」と。


このエントリーを書くために、キーワード「森有正 日本語」で検索をかけてみると、いろんなサイトがあることがわかる。それらをみると確かに似たようなことを森先生は言っているようだ。そのことで森先生が批判を受けているケースもある。が、今にして思えばということになるが、森先生がいいたかったのは日本語、フランス語に優劣を付けるということではないし、そもそも日本語が論理的じゃないなんてことでもなかったのだ。


なるほどフランス語は、動詞の活用だけでも覚えるのが大変なぐらい変化する(おかげでフランス語の単位は5回生になるまで取りきれなかった)。主語により時制により一つの動詞が、いくつにも変化する。ということは、少なくともフランス語で動詞を正しく使い分けるためには、そうした時制(とその意味)に自覚的でなければならないということだろう。そんな厳密さは日本語にはない。だから日本語がフランス語に比べて論理的じゃない、などと結論づけるのもまた論理的じゃない。


というか、そもそも論理的じゃない言葉など、ことばとして成立しないではないか。ということが、この歳にしてやっとわかったというわけです。


何でそう思ったか。山口智さんのブログ『Life is beautiful』にあったエントリー「日本語とオブジェクト指向」を読んだから(→ http://satoshi.blogs.com/life/2004/09/post.html)。このエントリーでは、日本語が論理的かどうかなんて話が展開されているわけではない。ただ

この名詞を動詞より先に言う、というユニークな言語構造(韓国語もそうらしい)が、日本人の脳みそ内での言語の処理方法を欧米人のそれとは大きく違うものにしているのではないかと考えている。

という指摘に目を開かれた思いをした。


そんなこと当たり前じゃんと言うなかれ。仮に言語の処理方法が欧米人と違うのであれば、欧米人とは違ったロジックが頭の中で展開されていても当然じゃないかと。これは自分的には大発見である。


そして山口さんによれば、ロジカルかどうかはともかくとして、日本語は主語をいちいち言わなくても良い上に、動詞よりも目的語を先に言うことで、よりスピーディに意図を伝えたり、ことばを省略できたりするメリットがある。だからこそ一方では日本語はあいまいだとか、状況依存的だとかいった批判も成り立つわけだけれど。


できるだけ論理的にものごとを考えて、きちんとわかりやすく表現できるようになりたいとずっと思ってきたし、いまも思っている。クリティカルシンキングを勉強したり、ロジカルライティングの参考書を読んだり、『論理トレーニング』なんて問題集に取りくんだりもしてきた。


ただ、どうもいつも18の頃の刷り込みが抜けていなかったようで「だから日本語は(だめなんだよな)」といった潜在意識とそれによるあきらめみたいなものがあったようにも思う。でも、日本語は決してダメな言葉なんかじゃないし、日本語なりのきちんとした構造があるということもわかった。というか、日本語を信じていなくて、どうして日本語で文章を書いているのか。それこそバカの極みじゃないかと、気づけてよかったと思いました。



昨日のI/O

In:
『兎が笑ってる/伊集院静
Out:
対訳君開発者インタビューラフ原稿
廣常啓一氏インタビュー原稿

昨日の稽古:

・レッシュ式腹筋、スクワット

生きることと考えること (講談社現代新書)

生きることと考えること (講談社現代新書)