ネズミに負けないために


自分が何をわかっていないかを自覚できる


人間じゃなくて、ネズミの話。アメリカでネズミを対象にある実験がおこなわれた。

短い音を聞いたら一方のレバーを押し、長い音ならもう一方のレバーを押すようラットを訓練した。
正しいレバーを押せば、餌を6粒与え、まちがえると何も与えない。ただし、解答をパスした場合には「残念賞」として3粒の餌をやる。
ラットにとっては、答えに自信があるときは解答し、自信がないときは答えないのが賢いやり方だ。
NEWSWEEK、2007.5.30、61ページ)


この実験の結果はどうだったのか。明らかに短い音、長い音を聞いたときにはネズミは完璧に答え、中間の長さの音を聞かせたときには約70%ぐらいの割合で答をパスした。わからないときには、わからないと答えたわけだ。


これが結構、画期的な発見だと騒がれている。なぜなら、自分が何をわかっているのか、わかっていないのが何かを自覚できるのはこれまで、人間に限られた能力だと考えられてきたからだ。この能力を『メタ認知』能力という。


ウィキペディアには次のように書かれている。

メタ認知(メタにんち):認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること。
http://ja.wikipedia.org/wiki/メタ認知


わかったようなわからないような説明だけれど、要するに「いま、自分は何を考えているんだろう」とか「自分がやっていることを人が見たらどう思うだろう」と一瞬我を離れて考える能力のことである。世阿弥の言う『離見の見」、自分を反省する力とか内省する力ともいえる。これが人間だけに備わった能力だと考えられてきたわけだ。


ところが、アメリカでの実験結果によれば、ネズミもメタ認知能力を持っている可能性が出てきた。別にネズミがメタ認知能力を持っていようがいまいが、そんなことはどうでもいい。それよりも問題なのは、人間に本来的に備わっているはずのメタ認知能力が衰えつつあるのではないかということだ。


もう少し具体的に言えば、自分が何をわかっていないのか、にまったく興味を示さない人が増えているように思える。たぶん「スルー力」とか「鈍感力」がもてはやされることとも関係があるはずだ。


人間とは不思議な生き物だと思う。「人」の「間」で生きるのだから、仕方がないのかもしれないけれど、どうしても人のことが気になる。人が知っているのに、自分が知らないことがあると不安になる。それを知りたいと思うとき学びの意識が生まれる。


比較対象の相手は、まず最初は家族である。それがたとえば幼稚園の仲間、学校の友だちと長ずるにつれてどんどん広がっていき、やがて人によっては人類のこれまでの叡智すべて、みたいなところまで行き着く人もいる。


対象をどこまで広げるかはともかく、とりあえずは自分が何をわからないかを漠然とでもいいから自覚することが原点である。そのわからないことを知りたい、わかりたいという渇望が、学びの原動力になる。この渇望はおそらく生存本能とも結びついていたはずだ。いろいろなことを、より「わかる」ほど有利に生き延びることができるわけだから、環境が厳しいときには「わからないこと」が多い人から淘汰されていったに違いない。


ところが豊かになり、競争もしなくてよい環境(たとえば今の日本がそれに近い。そして今の日本のような平和で恵まれた状況はおそらく、歴史上初めてのことだろう。この状況がいつまで、今のままで続くかということがとても不安だけれど)になると、そうした能力は必然的に衰える。本来なら「わからないこと」があれば不安に苛まれるはずなのに、今はその不安感を簡単に解消してくれるアイテムが世にあふれている。その上「わからなくったっていいじゃん」的感覚を享有してくれる仲間にも事欠かない。


そもそも自分が何をわかっていないかを常に自分に問う、なんて行為は七面倒くさいものだ。それこそ四六時中自省しなきゃならないわけで、そんな鬱陶しいことやらなくて済むならそれに越したことはない。だからこそデカルト先生は「我思う、故に我あり」と自分を戒められたのだと思う。


何がわからないのかを知るためには、まずわかっていることを手がかりにするしかない。これだけはわかっていることの周辺、その一歩先には何があるのか。そこにあるものを自分は理解できるのか、できないのかと意識すること。あるいは、自分にはまったく理解できないことにであったときに「一体、これは何なんだ。何がどうなっているんだ」と面白がれること。


そうやって少しずつ知の領域を広げていくことは、本来とてもおもしろいことなんだけれど、そんな「煩わしい」ことはやりたくないなあと感じる人が増えているのかもしれない。だからどうだってことではないが、「自分がわからないことを自覚できていてラット並み」ぐらいには思っておいた方がいいかもしれない。




昨日のI/O

In:
指導力清宮克幸
Out:
某社ソフト添付小冊子原稿


昨日の稽古: