小遣い、いくら?


月平均4万5400円


サラリーマンの方々の月々のお小遣い平均額がこれぐらいらしい(日経産業新聞5月29日)。一日平均にして1500円、前の年に比べて月額で5000円増えているという。景気の良い話である。


その昔「千円亭主」なる流行語があった。かれこれ30年ぐらい前の話で、一日のお小遣いが1000円。これでお昼ご飯を食べて、コーヒーを飲んで、タバコも買って、ついでにへそくりも貯めて、と。30年も昔のことなら、それもあり得る話かもしれない。


しかし、たしかこの5年ほど前にも同じ「千円亭主」という言葉がささやかれていたような記憶がある。このときの千円亭主は悲惨である。お昼時、オフィス街のマクドナルドにサラリーマンの行列ができていた時代ではないか。100円バーガーとコーヒーでお昼を済ませて小遣いを浮かす、みたいな小業でみなさん、しのいでいらっしゃったのだろう。


それが1500円と150%アップしたのだから、これは大きい。なるほど確かに景気は上向いてきているのだろう。喜ばしい話である。では、小遣いが増えると、増えた分は何に使われるのだろうか。同じく日経産業の記事によれば、支出で増えているのは昼食代のようだ。やはりお昼ご飯ぐらいちゃんとしたものを食べ、食後のコーヒーも楽しみたいではないか、ということなのだろう。


残念ながら個人的にはそういうお小遣いには、とんと縁がない。お昼ご飯を外で食べることも今のところ週に一回ぐらいしかない。だからお小遣いに一喜一憂することもない。そもそも月々いくらと決められた形でお小遣いをもらっていないし。


誤解のないように補足しておくと、もちろん小遣いなんていくらでも使える身分、であるわけではまったくない。実情はまったく反対である。といってかわいそうにお小遣いももらってないの、という話でもない。我が家には小遣いという概念がないだけの話だ。


そもそも四六時中家にいるわけだから、自分だけのことでお金を使うケースがない。確かにお酒は買うけれども(それは全部を一人で飲むわけじゃないし)、本は買うけれども(たいていは仕事に必要なものだから、これは必要経費だし)と数え上げるまでもなく、普段お金を使うのはこの二つぐらいしかない。


外で飲みに行くことなんて年に数回、喫茶店ぐらいはまあ行かないこともないけれど、平均すればこれも月に数回レベルだろう。着るものにお金を使うこともまずない(スーツを定期的に買ったりする必要がありませんから、せいぜい1年に2回ぐらいユニクロでガサッと買えばそれで足りてしまう)。


思い返せば、お小遣いとはあまり縁がない人生を歩んできた。高校生まではお小遣いをもらっていたけれども、浪人時代からはバイトである。自宅浪人なので生活のリズムをキープするためにと始めた新聞配達で、誰に何の遠慮もなく、どう使おうがオレの勝手じゃ的お金が世の中にはあることに気付いて以来、学生時代もずっとバイトで稼いできた。


幸い家庭教師という今にして思えば時間単価の非常に良いアルバイトに就けたおかげで、学生時代の金回りはかなり良い方だった。大学を出て勤めたのは普通の会社で、そこでは月々いくらと決まったお給料しかもらえなかったけれど(でも、その会社の男性営業社員で初めて残業代を普通に付けてもらって、それが結構な額になったりもしたけれど)、そのときは独り暮らしをしていたので稼いだ分は全部使える。


給料=丸々小遣いみたいなもんである。給料=生活費という常識が欠けていたがために、月末になると「おお〜、あと3日間を2000円で暮らさねばならぬ、ピ〜ンチ!」みたいなことにもしばしばなったりはしたが。未だにそんな感覚しか持ちあわせていないので、お金を持たせてもらえないということはある。さらに白状するなら、ここしばらくは持たせてもらえるお金がそもそもないということもある。


ここで少しばかり夢想してみるに、仮に毎日一万円お小遣いとして使えるお金を貰えたとしたら、どうするだろう(たぶん、そんなことは一生ないと思うけれど)。株を買ったり、金融商品を買ったり、地道に貯金したりといったことは思いつくのだけれど、じゃあ毎日豪勢なランチを食いにいくかとか、夜ごと飲みに行こうかなどとはまったく思わない。


お金を使う上に、貴重な(残り人生時間を考えると、ほんとに貴重だ)時間までも使ってしまうのはあまりにももったいないではないか。なので、使うとしたら時間を買うことにお金を使いたい。じゃあ、それって具体的にどんなこと? と問われても答えられないのだけれど。




昨日のI/O

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指導力清宮克幸
サントリーサンゴリアス監督・清宮克幸氏インタビュー
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