凶相と円相


折口雅博と渡邉美樹


コムスンの親会社グッドウィルグループ会長とワタミの社長である。先ほど届いた『日経ビジネス』を見ていたら、この二人の顔写真が出てきた。かたや凶相、かたや円相。年齢も、出自もそれほど変わらないのに、その顔相には大きな差がついている。


渡邉氏は1959年生まれ、折口氏は1961年生まれ。お二人とも父親が事業をされていた。そして奇しくも両家共に父親の事業が立ち行かなくなり、幼い頃には相当な貧乏を経験されている。


やがて渡邉氏は大学卒業後、佐川急便でセールスドライバーをして開業資金を貯め、居酒屋を起業。それがいまのワタミへとつながっている。40歳前後で上場を果たし、いまや郁文館学園の理事長や政府の教育再生会議委員も務めておられる。そのお顔からはおそらく誰がみても「いい」感じを受けるだろう。


一方の折口氏も立志伝中の人物である。少年時代は生活保護を受け、学費がないために陸上自衛隊の少年工科学校(自衛隊生徒)を経て、防衛大学校に進む。卒業後には日商岩井に入り、ここで「ジュリアナ東京」の仕掛人として一躍有名になる。その後独立し、ディスコ「ヴェルファーレ」を成功させ、95年にグッドウィル・グループを設立、4年後に上場を果たす。


その経歴だけをたどれば、まさに相似形ではないか。しかし、その顔相には明らかな違いが出ている。それが何に因るものなのか。「四十歳を過ぎたら、男は自分の顔に責任を持て」という。これはおそらく、四十年も生きてくると、その生き様が顔に出るということだろう。


であるならば渡邉氏と折口氏の顔相の違いは、その生き様の違いに因るものであるはずだ。両者の生き様にはどんな違いがあったのか。


起業するまでにすでに何かの違いがあったのかどうか。そこはわからない。とりあえずはっきりしているのは、渡邉氏は最初に佐川急便のドライバーをやり、折口氏は日商岩井で商社マンとなった。かたや過酷な肉体労働であり、かたやスマートなホワイトカラーである。


自らの体を酷使してお金を稼いだ渡邉氏と、自らの頭(才覚といってもいいのかもしれない)によってディスコを成功させた折口氏。独立して最初に始めたビジネスは、これまたどちらも客商売である。しかし、その後渡邉氏が居酒屋ビジネスを究めていったのに対して、折口氏は人材派遣ビジネスへとシフトしていく。ビジネスとしてみれば、両者ともに成功を収めている。


さらに、ここがまた似ているのだが、年経てお二人とも介護ビジネスに進出されている。その先がおもしろいと思うのだ。折口氏がコムスンで展開しているのは、24時間介護であったりあるいは老人ホームであったりと介護についてのほぼフルサービスである。ところが渡邉氏が展開しているのは、老人ホーム事業のみだ。


今回のコムスンの事業譲渡についても、ワタミは老人ホーム事業に限定しての引き受けを表明している。ワタミ訪問介護に手を出さないのは、その収益性に問題があるからだという。要する厚労省が差配する保険制度のもとでは価値と対価のバランスを極めて取りづらいという判断なのだろう。ここで思うのだが、渡邉氏と折口氏の生き様を明らかに分けたのは、この価値/対価バランスの捉え方なのではないだろうか。


渡邉氏は、顧客価値を何よりも大切に考える人だと思う。だから居酒屋であっても、きちんとした接客、丁寧に下ごしらえをした食材でおいしい食事を出す。和民はこれが受けて成長してきた。和民の提供する価値はリーズナブルな価格でもある。ただし、和民は闇雲な価格競争には決して手を出していない。なぜなら、お客様に価値を感じていただくためにはそれなりのコストをかけることが必要だからだ。「安かろう、悪かろう」はやらないのだ。


だから現状の制度下では収益性に問題のある訪問介護には手を出さない。それは決して儲からないからやらないのではなく、お客様に納得してもらえるだけの価値を提供できないからやらないという判断だと思う。


ところがコムスンはどうか。折口氏が父親の介護経験から、介護ビジネスが社会的に必要だと考えたのは、おそらく事実なのだろう。しかし、彼は才覚の人でもある。介護はビジネスとして成立すると踏んだ。ここで渡邉氏と折口氏の視点の絞られる先が異なっていることがわかる。渡邉氏が見ているのは、常に顧客価値である。一方の折口氏が見ていたのは、おそらく対価の方である。両者の決定的な違いが出た、と考えるのはうがち過ぎだろうか。


渡邉氏の柔和な顔を見ていると、いつも人のためをと考えている人なんだなと自然に思ってしまう。ああいうお顔になりたいものである。



In:
『街場の中国論/内田樹
Out:
某ソフト開発物語
テクノクラフト齋藤社長インタビューメモ

昨日の稽古:

・レッシュ式腹筋