そのとき賭けているもの


3分vs一生


たとえば、前方の信号が青から黄色に変わり、さらに赤に変わるか変わらないかといった際どい瞬間。信号の手前で加速しながら交差点に入り、スッと上手く抜けてさも自慢そうなドライバーがいる。「よっしゃあ〜」と何か少し得した気分にもなる。


その気持ち、何となくわかる。自分も以前そうだったから。


ところがあるとき乗っていたタクシーの運転手さんがまったく反対の対応をした。黄色から赤に変わるところで交差点に入っていくのは同じだが、彼はアクセルを踏むのではなくブレーキをかけながら突入していったのだ。


「信号が変わりそうなときにブレーキを踏むんですか?」と尋ねたら、
「そんなん当たり前やんか」と運転手さん。
「でも、信号が変わるんやから、早よ抜けんとあかんの違うんですか?」
「それはちゃうで。そうやって慌てるのが、いちばん危ないねん」
「危ないて?」
「信号が変わるのを待ってる歩行者が、もう変わったと思って飛び出してくるかもしれんやろ。そこを見とかんと」
「おぉ〜」
といった会話を交わしことがある。


それから基本的に信号が変わりそうな時は、できるだけ早い目にブレーキを踏むように心がけるようになった。完全にできているわけじゃないけれども「その信号を無理してクリアしてどれだけ時間を稼げるねん!」と自分に言い聞かせるようににしている。


仮に黄色から赤に変わるタイミングで突っ込んだとする。そこでうまく通り抜けられれば、信号一回分、たぶん3分ぐらいの時間を得することにはなるのだろう。だが、そのとき自分がどれだけのリスクを取っているかを考えるようになった。


結論は、たった3分ではあまりにも割に合わない大きなリスクを賭けていることがわかった。


もしも「もう、信号が変わる」とばかりに子どもが横から自転車で飛び込んできたらどうなるか。子どもの視野は狭い。自分の左前方にある信号(こちらから見て直進方向の信号ですね、今まさに黄色から赤に変わろうとしている)を見ながら自転車を走らせている子どもが、右側から交差点に突っ込もうとしている車(私のことですね)にまで注意を払っている確率は高くない。


しかも相手が小さな子どもであればあるほど、右側の車に気付く率は低くなるだろう。こちらとしても相手が小さければそれだけ気付くのが遅れる可能性が高い。


その結果何が起こるか。


最悪の場合は、幼い子どもを事故に巻き込んでしまう恐れがある。自分がたった3分の時間を得するために、幼い子どもの一生を損なうリスクがあるのだ。もちろん幼い子どもをはねでもしたら、自分の一生だって決定的に損なわれる。


わずか3分の時間を得るために(しかも、そこで得られた3分が有効活用されることなまずないはずだ)賭けるリスクとして、これはあまりに大きい。ことは交差点ツッコミ運転に限った話じゃない。


「運転中にケータイが鳴った、急いで取らなきゃ」運転にも同じことがいえる。その電話が自分の人生に取って決定的に重要な(=大げさにいえば誰かの命と引き換えてもいいぐらいの)内容だと予めわかっているのなら、リスクを冒して運転中にケータイを取る選択肢もあるかもしれない。


が、実際問題としてはそんなケースはまずあり得ない。だから運転中はドライブモードに設定し、電話には出ないと自分にルールを課すことが大切だと思う。


歳を取ったから思うのかもしれないが、避けられるリスクはやはりできるだけ避けるべきなのだ。逆に日常的に小さなリスクを取り続けていると、肝心の勝負を賭けるときにリスクを取れない恐れがある。君子危うきに近寄らずという格言は、しょうもないリスクを取ることに運を使っちゃいけないよという教えじゃないかと思う。


自分が賭けているリスク、それによって得られるリターン。このバランスをいつも考えることが必要だ。


昨日のI/O

In:
某社国際法務部リサーチインタビュー
Out:
メルマガ
奈良学園理事長インタビューメモ

メルマガ最新号よりのマーケティングヒント

「時差を使え」
http://blog.mag2.com/m/log/0000190025/
よろしければ、こちらも。

昨日の稽古: