禅的エディター

atutake2007-07-01



WriteRoomというエディターがある。
http://www.hogbaysoftware.com/product/writeroom


このエディターを立ち上げると、モニターがフル画面真っ黒になる。何にも見えない。この真っ黒画面に向かって原稿を書いていくと、目に優しげな緑色で表示される。これが実に良い。


何が良いか。余計なものが見えなくなるのが良い。


少し前のエントリーで机の上の環境を、個人的には劇的に変えた効果を書いた(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20070618/1182154874)。要するに机の上から、いまやろうとしているタスクに関係のないものをすべて取っ払ってしまったら、どれだけ目の前のタスクに集中できるかって話だ。これは今のところ、確実に大正解である。


そして、私の場合はタスクのほとんどが、何らかのテキストを書くことである。であるならば、テキストを書く環境、つまりパソコンのデスクトップもできるだけ余計なものを排除した方が良いのではないかと考えるに至った。


基本的にはMacの優れたファイル管理システムを有効に使い、デスクトップには10ぐらいのファイルが並んでいるだけだ。これはこれでいいのだが、今ひとつすっきりしない。すっきりしない理由の一つは壁紙にあると考え、壁紙のフリーサイトで「禅」だとか「無」だとかのキーワードで検索してみた。が、そんな妙なキーワードで見つけられる壁紙はさすがになく、とりあえずは龍安寺の庭の写真にしている。なんとなくだけれど、少し気分的に落ち着くような気がする。


残るはエディターである。


この数年はMac定番エディターの一つ、Jeditを使い続けてきた。ページの色とテキストの色をカスタマイズし、自分にとってもっとも見やすいカラーリング、フォントの大きさ、行間の設定なども試行錯誤を重ねて微調整してきている。何の不満もない。


不満はないのだが、もっとシンプルに禅的空間で仕事をできるエディターはないのか知らん、と探していて見つけたのが「WriteRoom」だったというわけだ。


このエディター、最初に立ち上げた時はかなり戸惑う。何しろモニターが真っ黒になるのだ。ツールバーさえも見えなくなるのである。そして緑色のカーソルが点滅しているだけ。「ほんまに、なんにも見えへんなあ」と思いながらテキストを打ち込むと、打ち込まれた文字はきちんと表示される(当たり前だけれど)。


なかなか玄妙なる気分である。


ほかに立ち上げているソフトはまったく見えない。壁紙もない。あるのは真っ黒な画面だけ。これが馴れてくると、実に良い。目の前のテキストと頭の中に浮かんでいる「これから書こうとしていること」がキーボードを介して直結するような感じなのだ。


前回のエントリーでも書いたことの繰り返しになるけれども、人間の視界というのはかなり広い。そして意識的に一点を集中して見ているつもりでも、その幅広い視野に入ってくるものは無意識下では脳に必ずインプットされている。


人間の視覚と脳の構造上、こうしたノイズが常に流れ込むことを防げないのであれば、ノイズとなるモノをできる限り視界に入るエリアがなくしてしまうことが、意識を目の前のタスクに集中させるカギだと思う。その意味では、このWriteRoom、かなり優れものエディターだと思う。


これを評して『禅的エディター』と呼ぶことにしたい。といって、このエディターを使って書いていて、こんなレベルのテキストしか書けないのかと指弾されるのが恐くはあるが。それでも原稿を書いている時の集中力が自分的には高まっていると思っているのだから良いのではないでしょうか。


って、実は大昔のDosマシンの画面に戻っただけじゃん、って話もないことはないのだけれど。


昨日のI/O

In:
Out:
奈良学園理事長インタビュー原稿
某社国際法務部リサーチレポート

メルマガ最新号よりのマーケティングヒント

「時差を使え」
http://blog.mag2.com/m/log/0000190025/
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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・中段回し蹴り50本×5セット/左右
・全力での突き50本×5セット/左右
それだけ。ひたすら全力で。