携帯でバカになる?


電話番号を覚えている人7%


未婚女性で彼氏の電話番号を覚えている人の割合らしい(日経産業新聞7月4日)。ちなみに未婚男性で彼女の電話番号を覚えている人は15%。みんな、電話番号を覚えなくなっているようだ。その原因は言うまでもなくケータイが覚えていてくれるからである。


ケータイが普及する前は、ビジネスマンなら得意先の電話番号をどれだけ記憶できているかが一つのものさしになった。つまりたくさんの得意先を抱えていること(売上が多くなる可能性が高い)、多くの得意先と頻繁に電話でやり取りしていること(コミュニケーション密度が高い)、記憶力のよいことの証になるというわけだ。


当然、携帯用のメモ帳も必須の業務アイテムだった。が、そんなの昔話である。今やケータイが何でも覚えていてくれる。最近では電話番号は言うに及ばず、スケジュールからそのスケジュールで必要になるメモまでケータイが教えてくれる(GoogleカレンダーGmailのおかげである)。


だから電話番号は覚えるものではなくメモリーさせるものとなった。個人的にも覚えているのは、自宅の電話番号と実家の電話番号の二つだけだ。家人の携帯、息子の携帯さえ(そもそもケータイの電話番号は12ケタもあるからというのも覚えられない理由だけれど)覚えていない。自分の携帯の番号だって、咄嗟に尋ねられると出てこないぐらいである。


これが電話番号ぐらいならどうってことないのかもしれないが、何でもケータイやパソコンに覚えさせることが全体的な記憶力低下につながっているとすれば問題ではないだろうか。たとえばネットでいろいろ調べものをする。これはと思うコンテンツに出会えば、そのページをコピーするなりPDFで保存したりする。もちろんテキストはきちんと読むのだけれど、記憶しようと努力しない。メモリーはパソコンに任せてあるのだから。


もちろん内容さえきちんと理解しておけば、細部を記憶しておく必要はないという考え方もある。それも一理あるとは思うが、では理解した内容はどこに保存されるのだろうか。


ここで必要になるのが「頭の中に叩き込む」作業ではないのだろうか。頭の中に叩き込む作業は、記憶することと極めて近い作業のはずだ。逆にいえば、コンテンツの細かい内容はパソコンにデータで取ってあるからと気を抜けば、「叩き込む」こともきっと疎かになる。


叩き込むほど徹底せず単に覚えておくだけでも、やはりそれなりに頭を使わないとできない作業だと思う。覚えるということは、その内容に自分なりのインデックスを付けて、頭の中の引き出しに格納することだ。そうやってしまい込まれた記憶が必要に応じて引っ張り出され、別の引き出しに入っている内容と突き合わせたりして「思考」が起こるのだと思う。


思考が「知恵」につながるのだから、知恵を生むためには「知識」が必要なのだ。


しかしである。記憶を放棄してしまえば「知識」が自分の中に蓄積されることもない。知識が少なければ、知識同士の結合や比較なども起こりにくくなるだろう。ましてや頭の中のいろんな知識が核融合的に凝縮して爆発する(これが閃きなんじゃないのだろうか)ことも期待できない。


記憶する、あるいは記憶を定着させるプロセスは人それぞれに違うだろうから、一概には言えないけれど、やはり何らかの身体的動作を伴う方が定着率が上がるような気がする。だから学生時代はせっせと書いて覚えたのだ。


ということはいくらコピペしても、コンテンツがパソコンの中にデータ保存はされるかもしれないけれど、その内容は自分の中に内部化されない。もちろん内部化されなくたって、Googleのデスクトップサーチを使ったり、MacユーザーならSpotlightですぐに検索してすぐに引っ張り出せるんだから、覚えている必要はないという考え方もあるとは思う。


だが、それでも自分の中に記憶として定着しているコンテンツこそが、自分の思考の起動力みたいな役割を果たしてくれるのだとしたら、覚えることはとても大切なんじゃないだろうか。だから何でもケータイメモリじゃ、知らない間にちょっとずつバカになっていくようで恐い。



昨日のI/O

In:
NTTドコモ取材
『秘花/瀬戸内寂聴
Out:
奥出直人教授インタビュー原稿
某ソフト開発物語

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「ヒントは現場にあり」
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昨日の稽古:

・レッシュ式腹筋/懸垂