根拠のいらない世界


Evidence Basedという言葉がある


基本的には医学用語であり、次のような説明がなされている。

Evidenceとは,ある事項に対して求めた情報の中で,最新最善の科学的根拠のことである.Evidence basedとは,そのような情報源だけを採用し作成されていると言うことである.
http://www.hazamaiin.com/publications_EBM_pracical_medicine.html


とはいえ、これは何も医学の世界に限った話ではない。ごくごく普通にビジネスの世界でも、あるいはもっと平たく人と人が話をするときでも根拠があって、その根拠に基づいて整合性のある推論から結論が導き出されるとき、人は「あぁ、なるほど。それならわかる」となる。


これが反対に「人がどう言おうと、私はこれが正しいと信じている。でも根拠は示さない」なんて話に対して「そりゃそうだ。もっともだ」と納得する人はあまりいない。


何のことかといえば赤城農相の事務所費疑惑問題である。


赤城農相は実家を「事務所なので経費を計上している」と釈明している。
実家ではご両親が「事務所としての活動などしていない」とおっしゃっている。


赤城農相とご両親の言葉が真っ向から対立している。ということは、どちらかが本当のことを言ってないことになる。実家に住んでおられるのは、赤城農相ではなくご両親である。それだけでも真偽性がどちらにあるかはわかりそうなものだが、それでも農相は「自分は間違っていない」と強弁される。


それならば「証拠を見せられてはいかがですか」と新聞記者が突っ込めば「その必要はない」とお答えになる。そして安倍首相は「赤城農相はきちんと説明されたと考えている」と話されているようだ。摩訶不思議な世界である。


安倍首相は、なぜこの論法を社会保険庁問題にも適用しなかったのだろう。
年金記録が5000万件も不明になっていますが、どうなっているのですか?」
「適切に処理されております。何の問題もございません」
「証拠はあるのですか」
「きちんとされております」
で押し通せば良かったではないか。


が、よくよく考えてみると安倍首相は同じ論法を通していることがわかる。なるほど、なかなか首尾一貫されているのだろう。
「5000万件もの不明記録を一年で解消できるのですか」
「できると考えております。何の心配もございません」
「その根拠はどうなっているのですか」
「適切に処理されております」


もしかすると総理のおっしゃる『美しい国』とは、根拠だ証拠だ理屈だとゴチャゴチャしたことを言わずに「ちゃんとやっていると言っているのだから、それでいいではないか。そもそも日本は、そんな理屈理屈としゃちこばったことで議論を戦わせる国ではない。阿吽の呼吸で、言わぬが花で、ツーと言えばカーで通じてこそ、美しいのだ」ということだったんだろうか。それなら、まことに終始一貫されているわけで納得いくけれど。


でも、それって何でもありってことでもあるわけで、そんな人たちが国のトップにおられる状況は相当にマズいんじゃないかと思う。根拠レスであるにも関わらず「これで適切です」なんて説明は、少なくとも対外的には絶対に通じないんだから。今度ばかりはきちんと選挙に行って、自分の一票をよりまともな政党に投じる必要があるんじゃないだろうか。



昨日のI/O

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某ソフト開発物語

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・ミット稽古(数稽古・速さを求める稽古・正確に反応する稽古)
・補強運動