少子化とZ会


売上高211億、経常利益32億


しかも、この数年売上、経常利益共にほぼ右肩上がりでの伸ばしている。企業名を増進会という。またの名をZ会といえば、ご存知の方もいらっしゃるのではないだろうか。その昔、私が受験生だった頃には「知る人ぞ知る」通信添削の会社だった。


30年前には広告など一切していなかった。にも関わらず東大・京大合格者の約半分ぐらいがZ会利用者だった。広告をしていないのにどうしてその存在を知ったのかといえば、たぶん学校の先生が教えてくれたはずだ。高校2年生ぐらいになると、教室で休み時間に問題を解いていた奴がいたような記憶もある。


たぶん高三のときだったと思うが一回チャレンジしてみて、速攻で解約した。手が出ませんでしたね、正直なところ。10日に1回のペースで問題が送られてくるのだが、10日が1ヶ月あろうが2ヶ月あろうがまったく歯が立たない問題ばかりである。もちろん自宅でやるわけだから、参考書も辞書も好きなだけ見てよい。が、そんなものをいくら見たってしょせんはムダである。しっかりした基礎知識があることは大前提、その上でぎりぎりと考え続ける頭のスタミナがないとまったく解けない。


今にして思えば、これぞ地頭を鍛える特訓だったのだとわかる。だから論述式で答える問題ばかりの東大・京大受験対策としては、うってつけということだったのだろう。


Z会に本格的に取り組んだのは浪人時代からだ。さすがにじっくりとやっていると、何となくわかってくる。最初に国語、続いて英語はだいたい毎回期限までに返送できるようになり、そうなると添削されて戻ってくる答案が楽しみになった。問題が難しいということは、その解説に添削者の腕が出るということだ。もはやおぼろげな記憶でしかないが「ほぉ〜、なるほど」と感じ入る名添削に何回かであったことは覚えている。


ここに当時のZ会ビジネスモデルの致命的な制約条件があったこともわかる。つまり添削の精度・品質を売りにするためには、優秀な添削者を集めなければならない。そして、そんな人間は探せばいたのだろうが、今のように情報通信手段が発達していなかった時代である、添削者の数は自ずと限られていたはずだ。つまりあの頃のZ会は、いくら規模を拡大したくとも添削者のキャパ以上に会員を増やすことはできなかったのだ。


ただしブランディングだけはきっちりとやっていた。そして恐らくは進学校の先生にはきっちりとアプローチしていたんじゃないだろうか。30年前の進学校と言えばせいぜい50校から多くて100校ぐらいまでで収まるはずで、それぐらいの規模ならマスではなくワントゥーワンマーケティングの世界である。4人ぐらいの営業マンが「せえの」で年に二回も全国行脚に出れば十分にフォローできたのではないだろうか。


さらに生徒サイドを原則的にできる高校生に絞り込むメリットは、添削システムの効率化でも活きてくる。「この子、さっぱりわかってないなあ。どう添削しようか」と悩んでしまいそうな生徒の添削と、「おうおう、ようわかっとるやないか。なるほど、ここで引っ掛かりよってんな」という生徒の添削では、圧倒的に後者の方が楽だし生産性も上がる。ついでに推測すれば添削者のモチベーションだって高まるだろう。


ということで好循環が回る。


通信添削高校コースが始まったのが1961年、以降中学コースをスタートさせる82年までは、このビジネスモデルでニッチマーケットできっちりと収益を
上げていたんじゃないだろうか。


ところが85年、株式会社化すると同時にリアルな教室展開にZ会は乗り出す。それ以降はどんどん拡大路線を歩み、いまや小学生の通信添削から大学生・社会人向けのキャリア開発コースまで展開している。あくまで推測になるが、こうした展開の背景には少子高齢化を読んでいたはずだ。


通常こうしたスケールアップを行なうとコアビジネスが少しずつぼやけてくるものだが、Z会の場合はよほど強固な核があるのだろう。添削の質は落ちていないと見える。未だに東大・京大合格者の同会利用者率50%前後をキープしているのがその証だ。


これは相当な知恵者が経営の中枢にいらっしゃったのだろうと推測するが、同社のホームページを見ても歴代経営者のことにはまったく触れられていない。機会があったら、ぜひ取材させていただきたい企業の一つである。




昨日のI/O

In:
日本オラクル・Y氏インタビュー
タウンニュース社経営企画室長・リサーチ
Out:
コープ東海連合インタビューメモ

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「会議は書いて変える」
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昨日の稽古:

・レッシュ式腹筋、腕立て、スクワット