なぜ日本人はブログが好きなのか


世界のブログは7000万以上、37%が日本語


テクノラティ社が4月に発表したデータによると、言語別世界のブログを調べたとき、最も多いのが日本語で書かれたブログだそうだ。ちなみに英語のブログが36%だから一見、とても僅差の勝負のようにみえる。しかし英語人口と日本語人口の差を考えてみれば、日本人のブログ好きが世界の中でもいかに突出しているかがよくわかる。何しろ英語人口は世界で少なく見積もって10億人はいるのだから。


といいつつ自分でもせっせとブログを書いているわけだけれど、なんでみんなブログを書くのでしょう? そもそもブログが流行る前にはメルマガがあり、これがやはり日本独自のネット文化だといわれていた。確かにそうだと思う。メルマガ隆盛に関しては『まぐまぐ』さんの功績大ということだろう。ネット上で比較的簡単に自分の言いたいことを発信できるシステムを作ってくれたのが『まぐまぐ』さんである。これは便利だとばかりにみんなが飛びついた。


しかし『まぐまぐ』はすこしばかり敷居が高いところもあった。初期には自分のホームページがないとダメだとか、メール配信のシステムにしてもちょっと(ほんのちょっとだと思うけれど)面倒な作業が必要だったりした。だから、たぶん「オレもメルマガ発行して、言いたいことがあるんだけどなあ」って人はたくさんいたんだろうけれど、「でも、メルマガはちょっと難しいし」ってところで止まっていた人が、ブログができてど〜っとこちらになだれ込んできた、ということじゃないだろうか。


その過程ではmixiの力もブログをバックアップしたように思う。そもそも、私のブログ自体も最初はmixiに日記を書き始めたことがキッカケとなっている。mixiにちょろっと書いてみて、ちょっと書きづらいなとか思ったために、そうそうブログってのがあったなと思いついて始めたのがもう、2年以上前のことになる。


私の場合はそもそも原稿を書くことがメインの仕事でもあるので、その練習のためにといった意味合いもあってできるだけ毎日、テーマを決めて書くことを自分のノルマとしてきた。しかし、そういう人はレアケースだと思う。すると日本人はなぜか知らないけれどブログが好きということで話が終わってしまう。


それではおもしろくないので、無理矢理日本人がブログ好きな理由をひねり出してみた。話は思いっきり飛躍するのだが、今から1100年ぐらい昔、紀貫之という歌人がいた。彼が書いたのが「おとこもすなる日記というものを、おんなもしてみんとてするなり」で始まる『土佐日記』である。



土佐日記』は日本文学史上初の日記文学として知られる。そして日記文学に注目してみると、日本には実に豊かな伝統があることがわかる。有名どころだけで『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『更級日記』に『紫式部日記』。日記とは少し毛色が違うけれども『徒然草』や『方丈記』だって日記に近い文学といってもいいだろう。日本人は平安時代の昔から、日々自分が思いついた由なしごとを思うがままに書き出す文学的伝統があったわけだ。


これに対して欧米系ではどうなるか。wikipediaによれば『ガリア戦記』があるが、日本風の日記文学というのはあまりないのではないか。エッセイに近いものはあるが、それにしても相当に思索的であったり哲学的であったりして、要するに小難しいのである。


そして、もしかするとここに欧米と日本のブログ文化の違いがあるように思う。すなわち日本のブログは日記的なものが多い。あるいはエッセイというか、さらにはもっと個人的な思いつきと言うか、感想みたいなものをつらつらと書き連ねて、それを公表することに何のためらいもない。これは『土佐日記』に連なる日本の一種の伝統である。


ところが欧米ではそうはいかない。彼らにとっては、何かを書いて公表することに対する心理的な敷居が結構高いのではないだろうか。恐らくは欧米人にとって「書くこと」はすなわち、ギリシアの昔から「考えること」であったはずだ。自分として主張したいことがあり、そのための根拠を揃え、きちんと推論を正しく組立てたテキストこそ書かれる価値のある文章だと。そんな意識があるのだと思う。


そうした書くことについての意識付けは欧米では伝統的に受け継がれ、だからこそ現代の学校教育でも「論理的に」書くための作文教育がしっかりと行われている。これに対して日本では「書くこと」をきちんと教育される機会はあまりない。これは逆に日本人に対して「書くこと」と「書いたものを公表すること」に対する心理的ハードルを下げる効果として働いた可能性がある。


むしろ、思ったことや気になること、自分が考えついたことは何でもどんどん発表しなさいと奨める気風さえある。というところが日本が世界に冠たるブログ大国になった理由ではないかと考えてみた。


と考えれば、文章の論理を問われない単文メッセージの『Twitter』が欧米起源であることにも何となく納得がいく。彼らにとってはああいう形で深く考えることなくテキストを表に出せることは、ものすごい開放感を得られることなのかもしれない。



昨日のI/O

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コープ東海インタビューラフ原稿

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・ミット稽古(全速力での蹴り・突き)
・顔面攻撃への受けの稽古
・ナイフ攻撃への受けの稽古
・補強運動