ロックに普遍性はあるか


Led Zeppelin 4: Zoso

Led Zeppelin 4: Zoso

Burn

Burn


Burn。Black Dog。Brighton Rock


小学5年生のうちの息子の目下の三大お気に入りである。去年の誕生日、彼はおばあちゃんにiPodを買ってもらった。それでとりあえず最初の間はKAT-TUNだとかORANGE RANGESmapなんかの流行歌を熱心に聞いていた。


が、なかなかに飽きっぽい性格である。せっかくのiPodをこのところあまり使っていないので、家にあるCDから少しばかり昔(大昔といった方が正確も知れないけれど)のヒット曲を取り込んでやった。選曲はロックでリフの印象的なものに絞った。わかりやすくいえば、35年ぐらい前に10代前半のガキだった自分が「かっこいい」と思ってた曲である。


Led ZeppelinDeep PurpleQueenBeatles、ついでにケータイau族のCMに使われてるVan Halenといったところだ。


全部で100曲ほど取り込んでやった結果、カッコいいといって毎日聴いているのが、とりあえず冒頭の3曲にThe Beatlesとなった次第。これがおもしろいというか不思議というか。自分が11歳だった頃に35年以上前の流行り歌を聴くことはまずなかった。たまに父親がラバウル小唄だとか浪曲だとか東海林太郎さんの歌をステレオで聞いているのを耳にすることはあったが、そんなものをカッコいいと思ったことはもちろんついぞない(その割には結構刷り込みがきつくて、さ〜らばラバウルよ、また来るま〜では、なんて空で覚えていたりするけれど)。


個人的な音楽ビビビ経験はたぶん、モンキーズのテーマソングかBad Fingerの『嵐の恋(No Matter What)』、あるいはミッシェル・ポルナレフの『シェリーに口づけ』のどれかだ。このあたりからいわゆるポップスを聞くようになり、遡ってBeatlesにハマり、ちょうどピークを迎えていたZepやPurpleにのめり込んでいった。


何が、どうと言葉で説明することはできない。いえるのは、そんな音楽がただただ「カッコよかった」ってこと。少々大げさな言い方をするなら、世の中にはこんなにもカッコいいことがあるのだと教えてくれたのが、それらのロックだった。そして「カッコいい」という一つの評価軸ができると、その対立点となる「カッコ悪い」ことがどんどん見えてきた(ように思った)。


ものすごく短絡的な思考だったなと今なら苦笑するしかないが、当時はそんな俯瞰的な視点を持てるはずもない。だから親、学校、先生、常識、日本的なものがすべて「カッコ悪い」カテゴリー群に放り込まれることになった。見事なまでのステレオタイプなものの見方だけれど(単純バカともいうけれど)仕方がない。


という昔話はさておき、興味深いのは今の息子君のハマり具合である。彼の様子をみていると、いろんな疑問が浮かんでくる。一つには、昔かっこ良かった「Burn」とか「Black Dog」は、今でも本当にカッコいいのかということ。もしかするとこうした曲には、何かある種のエバーグリーンな「カッコよさ」があるのだろうか。もし、そうだとしたら、そのエッセンスは何なのだろう。また、なぜ70年代初期までそうしたカッコよさは生まれなかったのか、そこのところも大いなる疑問である。


あるいは、こうした音楽に対する感受性みたいなものも見事に遺伝することがあるのだろうか。自分自身は父親の感受性を今のところほとんど受け継いでいないので、遺伝することには「?」が付くのだけれど。仮に遺伝するのだとしたら、彼はこの先はどうなっていくのか。


自分の場合は「カッコ悪い」カテゴリーに属するものが、親、学校、常識からさらにエスカレートしていき、「みんなと同じ」とか「みんなから人気があるもの」もカッコ悪いと見做すところまで突っ走ってしまった。


が故に、特に高校生になる頃から友だちのいない奴(当時は「ネクラ」と呼ばれた)になり、誰彼も相手をしてもらえないために持て余す時間を潰すために音楽を聴くか本を読むしかなく、さらに友だちできない(いらない)モードに突入していくという悪循環にもろにハマっていってしまったわけだが。


自分の子どもがそんなサイクルに絡めとられていく様子を見るのは、あまりうれしいことじゃないなあと思いながらも、もしかしたらロックを聴かせたことが『パンドラの箱』を開けてしまったのかもしれないと、半ば興味津々で彼の成長度合いを見守る日々である。


でも、今聴いても確かに『Burn』も『Black Dog』もメチャカッコいいですけれど。


昨日のI/O

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某ソフト開発物語
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