誰に看とられたいか


男性は妻、女性はプロ


将来の自分の介護を誰に頼みたいか。高齢者向け住宅などを手がける株式会社ゼクスの調査結果である(→ http://www.zecs.co.jp/management/extends/upfiles/2/310/20070810kaigo_ishiki_chosa.pdf)。


もちろん男女共に理想は、誰の力も借りずに生活すること。その上で介護が必要になったら施設に入居することを望んでいる。確かに、まだ自分が元気な時点でこの手のアンケートを受けたら、そう答えるだろう。この答だけでもたぶん20年ぐらい前とは意識が変わってきていることがうかがえる。あくまでも推測だけれども、20年ぐらい前なら「老後は子どもに」という意見が多かったのではないだろうか。


ところが介護の悲惨な実態が明らかになってくるにつれ、子どもに面倒をみてもらうのは彼らにとても辛い思いをさせることになるし、介護してもらう自分もしんどい可能性があることがわかってきた。だから可能ならば(経済面を含めてさまざまな条件をクリアしなければならないが)専門の施設で面倒をみてもらうことを望むようになってきたのだろう。


興味深いのは男女の対比である。


要するにおじいちゃんは、できることならおばあちゃんに世話してもらいたいと思っているわけだ。そしておばあちゃんは、おじいちゃんではなくプロに介護してもらいたいと願う。当然、予測されるギャップである。


おじいちゃんがこれまでずっと家事をしてくれていた奥さんに最後まで面倒みてもらいたいと思うのは、ごく自然な情であろう。一方、長きに渡って夫の行状をみてきた奥さんからすれば、夫(たぶんがさつであったり、気配りがなかったり、とんでもない面倒ぐさがりやであったり・・・って私のことか)に頼るなんてとんでもない、といったところが本音ではないのだろうか。これまた、何となくわかる気がする。


そして奥様方は心の奥底では「自分も歳を取っていろいろ大変なのに、この上まだダンナの面倒を、それも介護が必要なぐらい弱っている人の世話をしなきゃならないなんてまっぴらごめん」ぐらいに思っている方も多いのではないか(おっ!このセリフはどこかで聞いたような気がするが、気のせいということにしておこう)。


しつこいようだけれど理想は最後まで誰に迷惑をかけることなく、いわゆる「ピンピンコロリ」で逝ってしまうことだ。と思えば、やはりもっと摂生に努めなければいけないのだろうなと反省する。体重を抑え(それほど太ってないけど)、血圧を抑え(ほとんど正常値だけど)、血糖値やγーGTP(これだけは高いだろうな)などに気を配り、ストレスを溜めずに適度な運動を心がける。


さらにできるだけ頭を使ってボケないようにも務める。ストレスになっては逆効果だけれど、適度な緊張感を維持することも重要なポイントではあるだろう。以前、脳外科のえらい先生から、政治家がボケないのは常に頭をフル回転させ、しっかりとしゃべり、人前では緊張感を保っているからだと聞いたことがある。


ということは老後は家で楽隠居などというのが、たぶんもっともまずいパターンなのだろう。そうではなく男性としては、嫁さんの介護ぐらい自分がしてやるわいとばかりに介護の術を習い気合いも入れておく。かたや女性サイドとしては、まかり間違ってもダンナの世話になんかならないんだから、とこれまた気合いを入れて余生に入る。というところが、結構理想のソリューションとなるのではないだろうか。



昨日のI/O

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