暗小弱が意味するもの


照明は暗く、看板は小さく、色使いは弱く


たとえば品川駅のコンコースの照明が暗くなり、すれ違う人の表情が読み取れないぐらいになった。9月に開業したザ・ペニンシュラ東京は意識して探さないと見落とすぐらいに看板が小さくなっている。そしてモスバーガーファーストキッチンが微妙に色使いを変えてきている。


色使いの変化の流れは三つあるらしい。
「カラフルから単調へ」
「原色からナチュラルへ」
「暖色から寒色へ」(日経MJ新聞2007年11月26日付け4面)


要するに照明は全般的に暗いめ、看板やサインは小さめ、色使いは控えめというのが最近のトレンドだというわけだ。これは結構、重要な変化ではないだろうか。


かつて谷崎潤一郎は『陰翳礼賛』の中で日本文化の粋のひとつを、モノクロの階調表現にあると説いた(というふうに個人的には読めた)。ただ暗ければ良いというのではない。暗さと明るさの連続性、どこまでが明るくてどこから暗さが始まるのかが不鮮明であること。谷崎はそのあいまいさの中に日本人的な美を見出した。


照明を落とし、色使いを控えめにする傾向は、かつて谷崎が礼賛した日本的感性への回帰現象とも考えられる。とりあえず日経MJ紙は

こうした変化の理由を、消費者が大人になって落ち着いたものを好むようになったという指摘もあるし、新しい富裕層が増えて高級感を大切にするようになってきたからという声もある。いずれにしろ、時代の空気が変わったのは確かだ
(前掲紙)

と分析している。


仮にこの分析が当たっているとすれば、その背景には格差社会の進行があるとも考えられるだろう。つまり富裕層はすでに確固としたインナーサークルを築きつつあるから、そのサークル内で必要な情報は流通している。だから富裕層御用達のホテルやレストラン、ブティックなどはあからさまに看板などを出してその存在をアピールする必要はない。むしろ、ターゲット外の顧客が看板に引かれて迷い込んでくることの方が迷惑、といった考えが底流にあるのかもしれない。


あるいは富裕層をイノベーター層と読み替えれば、彼らの志向がアーリーアダプター層に浸透しつつあるとも考えられる。従来のマーケティングセオリーなら、アーリーアダプター層が受け入れれば次はフォロワーへと広がって行くことになっていた。ということは日本全体が「大人の文化」へとシフトしつつある証となるのだが、これにはちょと疑問符が付く。


では、ほかに考えられる解釈はないか。あまり好ましい見方ではないが、日本全体の弱体化と歩調を合わせていると捉えることも、もしかしたら可能ではないか。


暗・小・弱の反対を考えてみれば見えてくるものがある。今の中国がまさにこれ、すなわち明・大・強ではないか。数々の矛盾を内包しながらも、ともかく今の中国は来年のオリンピック、そして2010年の上海万博までは成長路線をまっしぐらに進むことになるのだろう。その中国を象徴するのが「明るさ」「大きさ」「強さ」だ。


クォリティに難があるとはいえ世界の工場であることは間違いなく、同時にその市場規模も凄まじい勢いで拡大している。たとえば自動車の販売台数の伸び具合をみれば、いかに中国の市場拡大が急ピッチかがわかる。内陸部と沿岸部の激しい格差はありながらも、全体的には少なくともあと数年は中国の経済成長は続くはずだ。


その中国を比較の対象に置いた時、日本はどう見えるだろうか。中国のような勢いがないことだけは明らかなのではないだろうか。では、やはり日本は衰弱しているがために「暗」「小」「弱」へとシフトしつつあるのだろうか。


あるいは、大人化でも衰弱化でもなく、まったく別の流れを象徴する表象として「暗」「小」「弱」が出てきているのかもしれない。もしそうなら、これは簡単に答が出るような問題ではない。だからこそ、とても興味深いテーマともいえる。とりあえず色使いの変化やコンパクト化・スリム化への流れ、あるいは全体的に薄暗い照明への指向性などに当面、注意することがマーケティングを考える上では必要だろう。




昨日のI/O

In:
『なぜ日本人は劣化したか/香山リカ
Out:
メルマガ
ICSインタビューメモ

メルマガ最新号よりのマーケティングヒント

「明朗会計の強さ」
http://blog.mag2.com/m/log/0000190025/
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□InsightNow最新エントリー
「エンドユーザー・ファーストの大切さ」
http://www.insightnow.jp/article/756

昨日の稽古:

・懸垂、腹筋