バレる時代


ヤマト運輸では「ミカン事件」伝説が語り継がれているという


すなわち

一九七〇年代後半、ヤマト運輸社長だった故小倉昌男氏は「宅急便」の段ボール箱からミカン一個を失敬した社員を解雇した。
(中略)
同氏は日本初の宅配便事業を「利用者である主婦の視点から考え抜いた」。ミカン一個の不正が「このくらいなら」とまん延し、主婦の信頼を失うことを恐れたのだろう。(日本経済新聞2008年1月21日付)


ミカン一箱ではない。たったミカン一個だけでクビである。なぜ、そこまでの厳格さを故小倉氏は求めたのか。答ははっきりしている。宅配便が、それまでの日本にはなかったサービスだからだ。以前はこうした荷物輸送は郵便局が一手に引き受けていた。郵便局といえば、そこで働いている人たちは公務員である。


今でこそ、公務員が不正を働くはずがないなどとおめでたくも考える人はまずいないだろうが、30年前は違ったはずだ。公務員、すなわちお国に勤めている人たちに対する信頼は、まだまだ盤石なものがあった。だからこそ郵便物をみんな、安心して任せていたのだ。そうした状況に殴り込みをかけたのがクロネコヤマトである。


国のシステム対民間企業となれば、少なくとも30年前ならどちらに信頼感があるかは言うまでもないこと。であるなら後発で、しかも郵便局=国よりも信頼感に劣るクロネコヤマトがやるべきことは、まず徹底した安心/信頼イメージの醸成である。だから故小倉社長は、ミカン一個を盗んだ社員をあえてクビにした。辞めさせられた社員には厳しすぎる処分かもしれないが、示しを付けたのだ。


もちろんその頃に今のようなインターネットはまだない。だから、不正を見つけた誰かが、ネット上に情報を流してそこから大騒ぎになることもない。ここ数年で急速に企業に普及してきた内部告発制度もない。また終身雇用神話が生きていた時代である。会社を守るため社会に対して嘘をつくことに対する心理的障壁もずいぶんと低かったことだろう。だから仮にミカン一個ぐらいならまずばれないのだから、見過ごしたってよかったのだ。


それでも、あるいはだからこそというべきかもしれないが、ヤマト運輸はミカン一個を盗んだ社員をクビにした。


ここで上にあげた日本初の「宅配便」事業のカッコの中をいろいろ置き換えてみるとどうなるだろう。たとえば日本の環境貢献のための「再生紙」事業とすれば何が見えてくるだろうか。製紙会社のトップの中ではただ一人、日本製紙の中村社長が引責辞任を表明しているが、他社トップはみな居座るようだ。


しかも、居座る方々は偽装を以前から知っていたという。にも関わらず自ら責任を取ろうとしない。そうした姿勢から透けて見えるのは、各社が社会貢献だとかをお題目にしながら展開していた再生紙事業の空虚さである。


ここで少々強引な展開になるかもしれないが、ここにも香山リカ氏の指摘する「日本人の構造的劣化」をみる思いがする(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20071206/1196922444)。クロネコヤマトの「ミカン事件」から30年が経って、経営トップ層でも相当な構造的劣化が進んでいるのではないだろうか。


食品の偽装表示、建材の偽装表示。今や何が偽装されていたとしても、誰も驚かない時代である。船場吉兆の女将などはテレビ会見でしどろもどろになった息子に、いかにも適当なことを言っておけと指示さえした。その女将が新社長として出直すそうだ。


信じられないのは、その吉兆の再スタートにあたって予約が埋まったということ。いささか下司の勘ぐりめいてしまうかもしれないが、一体どんな客が行ったのかと思ってしまう。決して謝罪特別低価格サービスを吉兆がやったわけじゃないのだから、それなりの食事代金を払える人たちが行ったのだろう。その中にはもしかしたら製紙会社のトップもいたんじゃないだろうか。


ともかく、ここ数年の世の中の動きで一つ、決定的に明らかになったことがある。すなわち『今は、ウソは、必ずどこかでバレる』時代だということ。


もし、自分が何かやばいことに巻き込まれそうになったときには、次のように自問してみることが必要だと思う。すなわち必ず『ウソ(や悪事)は、必ずどこかでバレる』、それでもやるのか? と。



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