歳を取る意味


つい先日48になった


子曰く「五十而知天命(五十にして天命を知る、論語、為政第二)」という。あとわずか2年で、天命などという大それたものを自分がわかるようになるかものかどうか。現状から考えると、よほど強力な外圧でもかからないと無理だろう。などという戯れ言はさておき、今年の誕生日に少しだけ考えてみたことがある。年齢を重ねる意味である。


生理学的には、それだけ老いるということ。すなわち死に近づくことである。それはもちろんそうなのだが、もう一つ、今年は発見があった。こういうことだ。


『歳を取るということは、自分が何ものでないかを知ること』


たとえば、48年間生きてきた結果、今から自分が大企業の社長になることはまずない、ことがはっきりした。もっともこれから先に何かの間違いが起こる可能性までは否定しないが、現実的にはまずあり得ない話である。同様に、今後自分が阪神タイガースの監督になることも決してないだろう。


これを仮に12歳のときの自分と比べてみると、その意味が少しははっきりする。中学校へ進学するときの自分に秘められていた可能性をいまと比較すればおそらく今の数百倍はあったはずだ。進学校かつ男子校を選んだことによって、もしかしたらプロ野球の選手になる道やアイドル歌手となる進路(冗談ですけど)は閉ざされてしまっていたのかもしれないが、サッカーで日本代表となるぐらいなら微かとはいえ可能性はあった(それぐらい私の母校は県内ではサッカーが強かった)。


サッカー代表も卓球部を選んだためにかなわぬ可能性となったわけだが、中学校1年生のときの自分は、卓球で全国チャンピオンになることを夢見ていた。今から思えば非現実的な話でしかないが、わずかな可能性はあったのだ。とりあえず卓球に関して県内ではトップクラスの実力校だったし、稀に全国で3回戦ぐらいまで勝つ先輩もいたから。


が、その可能性も自分が努力しないことによって自然と消えていく。そうやって過去を振り返れば、やはり中学、高校、大学ぐらいの時期に自分がどれだけ多くの可能性を振り落として来たかがわかる。これが時間の持つ「取り返しのつかないトレードオフ」効果である。


早い話がバイクを乗り回し、麻雀やビリヤードに明け暮れる日々を送ったがために、24歳で大学を卒業するときの自分に残された可能性は、12歳のときの自分が秘めていたオプションのたぶん半分ぐらいになっていたのだと思う。その意味では年齢と残された選択肢は一般的には反比例の関係にあるのかもしれない。


そして就職である。


我々の時代はまだまだ大企業神話が生きていた。日本全体の景気も右肩上がりが続いており、高校時代の知人たちは揃っていわゆる一流企業に進んでいった。ただ、このときだけは何らかのセンサーが働いたのか、自分は違う道を選ばなければならないと考えたのだ。これにより生涯年収3億円だか4億円だかがほぼ約束される人生の可能性を閉じたことになる。


ただ、負け犬の遠吠えなのかもしれないけれど、そうした企業にいったん入ってしまうと、自分の性格を考えれば、恐らくは定年まで自ら進んで違う道を選ぶことはできなかったと思う。その意味では就職に際しては、まだわずかに将来の選択肢の多い道を選んだのだと納得することにしている。その頃の自分を振りかえってみると、将来が決まってしまっている自分の姿を想像することにほとんど恐怖感を抱いていたことを思い出しもする。


その結果、小さな印刷ブローカーに入り、それ以降はデザイン事務所、広告代理店を経て独立、今に至るわけだ。この間、一つ年を重ねるごとに『自分がなにものになれないか』を無意識のうちに理解してきたような気がする。だからといって、そのことをあえて直視もせず、従って何らの対策も打たなかった。そのツケが今にまわってきているというわけだ。


12歳、24歳ときて今年48歳になり、年齢を重ねることの意味とようやく正面から向かい合えるようになったということなのだろうか。可能性は確かに限られている。でも、救いはいくつもある。


まず、まだ48でしかない。平均寿命を基準に考えても、残された人生はたっぷり20年以上ある(たった20年しかないのかとも思うけれど)。幸いにして今のところは健康でもある(目肩腰と内蔵は少々弱っているけれど)。家族にも、まわりにいる人たちにも、うまく言葉にできないぐらいに恵まれている。


自分が何ものでないかがわかってきたということは、自分にできることが何なのかがわかってきたともいえる。その自分にできることで、これまでいろんな人から受けてきた恵みを、ほんの少しずつでも返していく。それがこれからの自分に与えられた天命なのかもしれない。


そして来年の誕生日にはまたいくつか、自分がなれなかった何かが増えていることだろう。そうやって歳月を繰り返しながら、死ぬときに初めて「自分が何ものであったのか」がわかるのではないだろうか。





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