電縁の時代


かつては血縁と地縁があった


いまは地縁が薄れ、新しい人間関係の有り様が生まれている。電縁である。電縁とは何かといえば、インターネットを通じて生まれる人間関係のことだ。とはいえこれは何もいまに始まったことではない。古くはパソコン通信時代から電縁はあった。たとえばニフティフォーラムのオフ会などがそうで、すでに20年ぐらいの歴史はある。


フォーラム(といっても、もしかしたらご存じない方も多いのかもしれないが)を通じて知り合いになった方々が、時に実際に集まる。これをオフ会といった。今ならmixiのコミュニティなどが以前のフォーラム的な役割を果たしているのかもしれない。いろんなコミュニティでときどきオフ会の告知を見かけることがある。


私が初めて参加したのは、『知恵市場』というメーリングリスト(ML)に集う人たちによって開催されたオフ会。これが個人的にはかなりインパクトのある集まりだった。なにより強く印象に残っているのは、参加者がお互いをハンドルネームで呼び合うこと。実際に対面して名刺交換も済ませたばかりなのに、相手の本名ではなく「マッセさん(これ、当時の私のハンドルネームです)」などと呼びかける。変である。でも、まあそれもネチケット(この言葉も死語かもしれない)の一種かぐらいに受け止めていた。


やがて、なんとなく大規模なML(知恵市場には最盛期で2000人ぐらいの参加者がいたはずだ)の時代が終わる。といっても私が参加していたMLが自然消滅的になくなっていっただけなので、今でも活発にやり取りされているMLはあるのかもしれない。このあたりは実は興味があるところで、本当になくなったのかどうか。もしなくなったとしたら、その原因が何なのかを知りたいところだ。どなたか、ご存知の方がおられればぜひ教えてください。


閑話休題メーリングリストなき今、ネットを通じて知り合いが増えるということはないのかといえば、決してそんなことはない。mixiなどのSNSやブログを通じて新たなご縁ができている。これも電縁の一つだと思う。


ブログを読んでくれている人から、ごく稀にではあるけれども「お会いしませんか」とオファーを受けることがある。お断りする理由は何もない。むしろブログを読んでくれていることがわかっている相手なのだから、ぜひお会いしたいと思う。そもそも相手の方が私の何をおもしろがって、会おうなどとおっしゃられるのかがとても興味深い。MLのオフ会が多人数集合だったのに対して、ブログを通じたご縁は基本的に一対一である。


そんな方と会うと、やはり話が転がる。


ブログにはいろんなことを書き散らかしているけれども、一つ確かなのは嘘を書いていないこと。たまに一つのテーマについて書いていることが以前とは正反対やないかい、といったこともあるけれども、それはご愛嬌である。本人としては、過去との整合性を取るために偽りを書くよりも、いまのほんとを書く方がうんとラクチンである。これがブログというメディアの面白いところでもある。


何しろ、基本的には日記なのであり、決して論文やレポートではない(と自分では思っている)。だから、その時々に思いついたことをありのままに書けば良いと考えている。そのブログを読んで「こいつ、おもろいから会うてみよか」と思われる奇特な方がいるわけで、これは会わない手はない。


もしブログを書いていなかったら、決して知り合うことのなかった人との出会い。これは電縁と呼ぶしかないではないか。


実際に会うところまで行かなくとも、コメントを書込んでくれる人や、あるいははてぶでコメントを付けてくれる人との出会いも電縁の一つだと思っている。はてぶでは時にかなり厳しいコメントを書かれることもあるけれど、それも自分にとっては発見である。「どうして、ここまできついことを言われるのか」と考えることは、これまで気付いていなかった自分を知る手がかりになる。


それがおもしろくて、毎日ぐだぐだと書いているところもある。ということでアルファブロガーの方々のように、いついつどこそこで集まってランチでもしませんか、などといったことはいいませんが、こんなブログを書いている奴の顔を見てみたい、話してみたいという方が居られれば、ぜひ気軽にお声がけください。




昨日のI/O

In:
『日々酔狂』鈴木幸一
IIJ・鈴木幸一社長インタビュー
Out:


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昨日の稽古: