見かけは大事か


20代80%、30代60%、60代40%


まゆ毛の手入れをしている人の割合である。その大半が散髪に行ったときに「まゆ毛はどうしておきましょうか?」と尋ねられて、おそらくは「適当に揃えておいてください(私がこのタイプだ)」とお願いする程度だと思う。


とはいえ若い人たちの中には

有名人の整ったまゆ毛を見て整えるようになった(日本経済新聞2008年3月31日付夕刊11面)

といった人もいる。まゆ毛を気にする人はかなり増えているのである。


男性用フェースケア用品については、一昨日も書いたばかりだ(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20080401/1207002738)。このエントリーでは、男性用スキンケア用品の潜在マーケットはかなりありそうなこと、このマーケットを顕在化させるには「さりげなさ」がポイントであるんじゃないかと考えた。


今日問いたいのは、男も見かけを気にすべきなのかどうかである。


結論からいえば「気にすべき」だと思う。
なぜなら、ちょっと偉そうにいうなら自分の矜持のために。


ポイントは人にどう見られたいか、あるいはどう思われたいかという「〜されたい」視点ではなく、自分はこうでありたいという「ありたい」視点にある。見かけを気にするということは、何かの基準を持って自分の見かけを自分で判断するということだ。その基準が問題ではないか。


基準の取り方は人によってさまざまだろう。たとえば愛妻家なら「うちの奥さんが、これが良いって言うもんで」基準がありだろう。お年頃の娘さんがおられるなら「お父さん、頼むからあんまりみっともないカッコせんといてな」視点でハードルを設定してもよい。もちろん彼女から「素敵ね」のひと言をかけられたいがためにあくせくすることも考えられる。


そのいずれを否定するものでもない。けれども、いつも根底には「いまの自分の見かけは、自分としてどうなのだ?」という問いかけを持つことも必要だと思う。そして人がどう言おうと「自分はこれで良い」と思えるだけの気概を持つこと、これが大切なのではないだろうか。


「ええねん、オレは。そんな見た目なんか気にせえへんし。大事なんは見た目やのうて、中身やろ」という人が、往々にして中身もダメな人だったことがある。50年近く生きてきた経験上の話である。一方で別に見た目にお金をかけている様子はまったくなくとも、きちんと感を漂わせている人がいて、そういう人は一緒に仕事をするとやはりかなりきちんとやる人が多いことも経験的に知っている。


うまくいえないが、重要なのは自分の美意識があるかどうか、ではないだろうか。その美意識自体が平均的な目から見て「カッコいい」のか「ずれている」のかはおそらく関係ない。そもそも自分なりの美意識そのものを持っているかどうかが、生き方に出るのだと思う。


自分のあり方について美意識を持っている人は、見かけだけではなく仕事に対する向かい方や人との接し方にも、自分なりの基準を持っている率が高いと思う。自分なりの基準を持っているということは、常にその基準に合っているかどうかを意識して、合っていないと判断すれば自分なりに軌道修正をかけるはずだ。この反省〜訂正プロセスを自分の生き方にビルトインできていることが、結果的に「見かけを気にする」ことにつながっている。という意味で「見かけは気にした方が良い」と思うのだが、どうだろう。



昨日のI/O

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筑波大学・内山洋司教授インタビューメモ

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コンプライアンスの時代」
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http://www.insightnow.jp/article/1166

昨日の稽古:

・懸垂、カーツトレーニン