ケータイvsPC/情報量と情報処理


fモード世代とは何か


28歳以下、すなわちケータイの進化と共に歩んできた1980年以降に生まれた人たちを、カテゴライズする世代名である。命名者は日経MJ紙だ。

NTTドコモの携帯電話サービス「iモード」の登場から今年は十年目。ケータイの進化と共に歩んできた一九八〇年生まれ以降の若者の消費行動を分析すると「friend(友だち)」「find(偶然、見つける)」「freedom(束縛されないこと)」の三つを重視していることが分かった。日経MJはこの二十八歳以下を「fモード世代」と命名日経MJ新聞2008年6月4日付1面)。


記事にはfモード世代の消費特性について、いろいろと興味深いことが書かれている。が、それより何より衝撃的なコメントがあった。そのコメントは私に決定的なショックを与えた。

パソコンは立ち上げるのが面倒くさいし、画面が大きい分だけ余計な情報も多い。ケータイは白黒画面時代から付き合ってきているので苦にならない


これである。情報がありすぎるのが面倒なのだ。このコメントから、自分とfモード世代の人たちの間には、情報に対する根源的な接し方の違いがあることを思い知らされた。図式化するとこうなる。


私:情報不足時代に育つ→情報に対する獲得欲求が強い
fモード世代:情報過多時代に育つ→情報遮断・選択・解釈技術に優れる


つまり、基本的に情報が足りない時代に育ってきた世代は、情報に対する飢餓感を心の奥底に抱いている。だから、常に新しい情報、自分が知らなかった情報を求めることにどん欲である。さらにいえば、情報をより多く取り込み、それを活かすことが自分にメリットをもたらしてくれるという、いささか単純な世界観さえ持っている。


ところがだ。生まれた時からすでに、有り余るほどの情報の洪水に去らされて生きていたfモード世代にとっては、情報などは所与のものである。彼らにとって重要なことは、あふれかえる情報の中から、自分にとって貴重な情報だけをいかに抜き取るか。だから、一画面に多くの情報が表示されるパソコンはうざいと感じてしまう。


以前のエントリーで、ひと息で読める文字数が800字から200字に激減していることについて書いたことがある(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20071129/1196286902)。元ネタは香山リカさんの『なぜ日本人は劣化したのか』なので、ひと息で読める文字数が減ったことを能力劣化と結びつけて捉えていた。


しかし、ことの本質は劣化ではなく、変化ないしは進化ではないのか。


なぜなら、fモード世代と自分の間には、生まれてから大人になるまでの情報環境でパラダイムシフトが起こっているわけだ。前提となる環境が異なっているのだから、劣化といった価値判断を伴った言葉を使っては的確ではない。これは変化(もしくは適応進化といった方がよいのかもしれない)と考えるべきなのだろう。


たとえばTwitterを使いこなす人たちとfモード世代がどれぐらい被っているのかはわからないが、おそらくは情報に対するスタンスは同じなのではないだろうか。つまり、自分とはほぼ正反対なのである。だから、このように長々とした文章をうざく思い、Twitter(あるいはケータイメールもそうなのかもしれない)で交わされるピンポイントの情報のやり取りに価値を見出す。


そういう見方を持っておくことが、マーケッターやプランナーとして何かを考えるとき、あるいはfモード世代の人たちとコミュニケーションを取る時のバックボーンとして必要だと痛感した。


それにしても「今は親しい仲間には『お休みメール』を送るのが常識」なんて日経MJの記事に書いてあったけれど、それって本当なんだろうか。


昨日のI/O

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琵琶湖淀川水質保全機構取材
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昨日の稽古: