神の巫女の声


「体が鳴るのです」


番組の中で元ちとせは二回程、こういった。私はただ歌っているのではないのだ、という意志が伝わってくることばだった。6年前、初めて彼女の歌を聴いたときは、その声の音色に吸い込まれるような気持ちになった。海面上に浮かびあがるように立つプロモーションビデオの中で歌われた「ワダツミの木」、これを聴いたとき一瞬にして引き込まれた。


すぐにシングルCDを買い、繰り返し繰り返し聴き込んだ。無謀にも、時にカラオケで挑戦したりもした。エキゾチックでものすごく歌のうまい女性シンガー、それが私にとっての元ちとせの評価だった。しかし、デビューこそ衝撃的だったものの、その後ほどなくして結婚、出産(流産)といったニュースが流れてきて、いつの間にか彼女は消えてしまった。


それが昨夜、たまたまテレビに出ていた。奄美の自分が育った学校、自分の恩人の死などを語るドキュメンタリー番組。彼女のその後などが紹介された後、歌が始まった。「わだつみの木」だ。


とまどった。CDを聴き込んで耳に焼き付いている彼女の声とはまったく違ったから。最初、歌がものすごく下手になったんじゃないかと思った。以前のようなあふれ出る声量がもたらすうねりや心地よさはなく、妙なところでつっかかりつんのめるような歌い方。でも、届く。自分の中の何かが共鳴しているのがわかる。


デビューした当時の歌い方は、すごくストレートだった。伸びやかな歌い方、エキゾチズムを感じさせるメロディ、そしてはかなげだけれども決して途切れることのない声が一体となって、聴くものをやわらかに包み込む。そんな歌い方だったのだ。


でも、久しぶりに聴いた元ちとせは、昔の元ちとせとはまったく別人だった。そして彼女は「歌う」とはいわず「体が鳴る」といったのだ。だから彼女が体を鳴らして発した音(言霊になぞらえて音霊とでもいえばいいのだろうか)に、自分が共振したのではないだろうか。


番組の中で彼女は、こんなこともいっていた。「出会ったすべてのことに大切な意味がある」と。だから、そうしたすべてのことを経験した、つまり「生きてきた」彼女の体が鳴らす音におそらく、自分は反応したのだ。


その経験の中には子どもを流産し、新たに授かって出産したこと。あるいは恩人の死などが含まれているのだろう。もしかしたら、これが内田先生のいわれる「倍音」なのかもしれないと思った。


昨日のI/O

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昨日の稽古:

・懸垂

ハイヌミカゼ

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