高校生のケータイ事情


ケータイ所有率97%(一説には99%とも)


とりあえず今どきの高校生なら、ケータイを持っていて当たり前、ということらしい。なるほど。残念ながら高校生の知り合いとなると空手関係でごく限られた人たちしかいないが、いわれてみれば確かにみんなケータイを持っている。逆にいえば今どきケータイも持っていないなんて、ちょっとおかしいんじゃないのと思われるリスクさえあるということなのだろう。


一方で自分のパソコンを持っている高校生は2割しかいないらしい。もっとも自分専用のマシンがなくても、一家に一台ぐらいはあるだろうから、それで間に合わせているということなのかもしれない。


が、ケータイオンリーユーザーが相当数いることも事実のようだ。これが信じられないのである。だって、ケータイの小さな画面とキーでは使いにくくて仕方がないではないか。ちょっと何か検索するにしても、何度もスクロールしたり別画面に飛んではまた戻ってと使いにくいことしきり。そもそもあの親指一本で使うしかないテンキーで文字を打ち込むのなんて、ほとんど拷問である。


と一方的に考えるのは、実はまったくのお門違いである。ということを構造主義を昔、ほんの少しでもかじったことがあるならわかっていなくちゃならない。つまり、私のようにパソコンを使いやすいと考えている人間の視点から見れば、ケータイなど使いにくくてどうしようもないわけだが、ケータイしか使わない人からすれば、そもそもパソコンと比較するという視点がない。


つまりケータイ所与の人たちからすれば、今のケータイの使い勝手が当たり前なのであって、それに慣れていれば使いにくいなどと考えるはずもないのだ。逆にいえば、もしケータイオンリーユーザーがパソコンを使って文字を打ち込もうとすれば、キーがたくさんあるから使いにくくて腹が立つと思う可能性大である。


あるいは、どこかで聞いた話だけれど、パソコンは変換機能がバカで困るという高校生だっているそうだ。だってケータイなら、一文字入力した時点でいくつかの候補を表示してくれるじゃないですか。でもパソコンで文字入力をしている分には、そんな便利な(?)機能はないんだから。


だからケータイで検索することにも、まったく何の不便もないというわけだ。むしろパソコンの方がいろんな画面が出てきたりして、どれ見たら良いのかわからなくてウザい、なんて思われるのかもしれない。


そうした一種相対的な視点を意識して考えるなら、ケータイオンリーユーザーをパソコンユーザーの視点から捉えていては、大いなる誤解をするリスクが極めて高いはずだ。


たとえば小さな画面だから検索が面倒だろう、故に検索して上位表示されるものしか見ないとか、入力しにくいから長文のメールを書くことがないだろうとか。そういえば大学生の中には原稿用紙10枚分ぐらいのレポートをケータイで書いて送ってくる人がいるという話もどこかで読んだことがある。


つまり同じインターネットというメディアを使っていながら、パソコンメインユーザー(我々のようなオッサン世代がメインと思われる)と高校生から下は中学生、上はおそらく20代の人たちまでをカバーするであろうケータイオンリーユーザー層とは、同じネットリテラシーの範疇では考えられないということになる。


そこで、オッサン的パソコンユーザーとしては、ケータイオンリーユーザーのケータイの使い方、その時の意識、コミュニケーションに対する考え方などに非常に興味がある。が、そんなことをじっくりと教えてくれる相手もいないのが、残念至極。


しかし、文字入力に関しては「パソコンの方がケータイよりよっぽどバカじゃん」なんて考える人がいるとは、夢にも思わなかった。が、いわれてみるとそれも一理あるわけで、自分の考え方は相当バイアスがかかっているんだなと反省した次第。


昨日のI/O

In:
『直球勝負の会社/出口治明
Out:
ライフネット生命保険・出口社長インタビューメモ

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