テレビの二つの原罪


とあるセミナーで、元テレビプロデューサーから聞いたお話。



テレビ業界で30年働いてきた。そしてリタイヤして、離れたところから振り返ってみたとき、自分を含むテレビ業界が決定的に犯した二つの原罪に気がついた。


一つは視覚(+聴覚)への過剰依存状態を作ってしまったこと。テレビとは圧倒的に視聴覚メディアである。おもしろい番組を作ろうと努力することが、結果的には視聴者に重大な影響を与える結果につながった。


毎日、テレビからあふれ出してくる膨大な番組を見続けているうちに人は、五感のバランスを狂わせてしまったのではないか。そのために視覚と聴覚以外の感覚が鈍っている恐れがある。だから、例えば視覚を制限すると、他の感覚が鋭敏になることを実感できる。


最近、流行っている真っ暗な中でのイベントなどに参加してみると、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされる。そして、ここが大切なのだろうが、五感の力を再び取り戻すことができれば、人間ならではのもう一つの感覚『第六感』も働かせられるのではないか。


もう一つのテレビの罪とは、東京の価値観で全国を均一化してしまったこと。あえて言い切るなら、テレビの価値観は東京の価値観である。あるいはテレビに映し出される映像は、東京のものであるといっても良いかもしれない。


もちろん地方を取り上げた番組もあるが、地方に圧倒的に影響を与えたのはおそらく、東京で作られたドラマである。そうしたドラマに映し出される風景、そのドラマが作られる過程で働いた力学は、基本的に東京の価値観に基づいている。


そうした価値観を浴び続けることによって、日本全国が東京的価値観によって均一化されてしまった。その象徴が、主要地方都市の駅前の風景ではないか。個人的な感想を述べるなら、日本の中で唯一、その東京価値観に置かされていないのが京都と沖縄だと思う。



といった話を聴かせてもらった。


本題は『源氏物語千年紀』だったが、こぼれ話として語られたテレビマンの本音は、なかなか興味深い内容だった。


視覚の問題については、つい最近『Dialogue in the Dark TOKYO』なるイベントがあることを教えてもらった(→ http://link.insightnow.jp/r/c.do?1I3_2cU_V_yls)。このイベントを体験した女性は

その日、家に帰った私には
コップに水を注ぐ音すら、今までとは違った音に聞こえました。
(INSIGHT NOW! マガジン Vol.93より)

と語っている。


視覚を制限された時間が、聴覚を鋭く研ぎ澄ませたということなのだろう。以前、ご紹介した早朝座禅で「雨の音を知った」のも、同様に視覚を制限したからだ(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20070912/1189568216


ネットを使っていると、四六時中ほとんど視覚オンリーな時間を過ごしているわけで、これはちょっとまずい。もっと意識的に視覚を制限する時間を持った方が良いのかもしれないと思った。


昨日のI/O

In:
『マイ・ビジネス・ノート』今北純一
Out:
大阪大学・渥美教授インタビューメモ

昨日の稽古:

・腹筋、懸垂