息子に抜かれる日


2キロで1分


一緒に走って差をつけられてしまった。息子とのジョギングである。これがわずか3ヶ月前、彼の昇段審査に備えてスタミナ作りのために、早朝ジョギングを一緒にしていたときには、こちらについてくるだけで精一杯だったのに。というか、まともに走ることさえできなかったのに。


中学生となり、まだ正式入部前とはいえ毎日走らされている成果が早速出ているようだ。ほんと「男子三日逢わざれば刮目して見るべし」とはよく言ったものである。息子とは毎日顔を合わせているが、だからこそ彼の成長に気づかなかったのかもしれない。


とはいえ着実に微妙な変化が起こっていることは肌で感じる。父・息子関係での目に見えないシフトとでもいえば良いか。


おそらくまだ、息子の意識として明確な認識はないのだと思う。しかし、たかがジョギングとはいえ彼が、私を置いてけぼりにした事実には決定的な意味があるのだ。おそらく彼の人生で初めて、自力だけで勝負して父親に勝ったこと。それもジョギングという純粋な体力勝負でである。その事実が彼の言動を微妙に左右しているように思う。


一方、父親としては、息子の後ろ姿がどんどん遠ざかって行く自体にただ愕然とするしかなかった。親はこういう出来事をキッカケに、自分が年老いたという事実を叩き付けられるものなのか。そんなことを思った。


しかしジョギングといえば、空手を始めるまでもずっと続けてきたエクササイズだ。ほとんど歩いたようなものとはいえ、ホノルルを完走したこともある。さすがに、この一年ぐらいは一ヶ月に2、3回しか走っていないから、体力伸び盛りの中学生に遅れをとるのもやむなしなのかもしれない。


が、まだまだ負けちゃいかんのではないか。というか、息子に勝てないことが、こんなに悔しいとは。もちろん彼の成長ぶりを喜ぶ気持ちは間違いなくある。あるけれども、負ける悔しさが強いのも事実。最初に歯止めをかけておかないと、いかんのではないだろうか。


などと悩んでしまう。世のお父さん方は、この誰でも通るはずの関所をどうクリアされているのだろう。




昨日のI/O

In:
『マイ・ビジネスノート』今北純一
Out:
小宮山宏さまインタビュー原稿

昨日の稽古: