テレビとライブ、どっちがおもろい?


京セラドームでプロ野球観戦したときの話


オリックスのホームゲームを何回か観た。その中の一回では、清原がサヨナラホームランを打っている(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20060527/1148685262)。が、実際にはよく見えなかった。なぜならホームランはライトスタンドに飛び込んだのだが、こちらはレフトの最上階の席で見ていたから。


そもそも目が悪いのだから、そんな遠くで起こった出来事をきちんと見通すことは無理、というわけだ。とはいえ、いつもそんな端っこの席で見ていたわけではなく、時には内野スタンドで観戦することもあった。


もちろんライブの魅力はある。何しろさすがにプロの選手である。内野ゴロ一つさばくのにも、体のキレが違う。いやいや、プレイ前のキャッチボールからして、並みじゃあない。当たり前だけれど、これぞプロなのだ。いざプレイボールのコールがかかれば、ピッチャーの投げる球がすごい。バッターのスイングもえぐい。


まっ芯で捉えたヒットなど速すぎて見えないぐらいだ。そこで「じゃあ、もう一度スローモーションで」と思って、自分が球場にいて生で見ていることに気づく。つまりテレビのプロ野球中継なら繰り返し見せてくれるはずの『この一瞬』を捉えた映像は、スタジアムにいる限り見ることができないのだ。


見事、空振り三振を奪ったすばらしいストレートのリプレイもない。当たり前である。ライブで見ているのだから。そして隣のおっさんがワンセグでリプレイを見ているのを見て、ちょっとうらやましく思ったりする。これって、とっても妙な感覚である。


もちろんライブならではの臨場感がある。これは絶対にテレビでは伝わってこない。しかし、テレビでなら見ることのできる解説やスローモーションやリプレイは、ライブにはない。すると時々、ライブがつまらなったりする。なぜなら、そういつもいつも劇的なシーンが起こるわけじゃないから。


編集されていないライブって、そんなものだ。そして、そんなとき、自分がいかに編集された映像に馴らされているかを改めて認識する。とりあえずスポーツについてライブを見る機会とテレビで見る機会のどちらが多いかと言えば、圧倒的にテレビである。だから自分が見ているスポーツは、テレビのスポーツだ。


テレビのスポーツとは何か。テレビ局の都合で設置されたカメラを通じた映像であり、テレビ局の意図で編集された映像である。その映像は当たり前のことだけれど、ライブの持つ膨大な情報量の一部しか伝えていない。


ところが同時に、見るものを心地よく刺激するように編集されてもいる。「ほら、すごいシーンだったよね」といわんばかりに決定的な場面は繰り返しスローモーションでリプレイされる。そうしたシーンは別の角度から撮影された映像も見せてくれたりする。


サッカーなんかだったら、スーパーゴールに到るまでのプロセスもきちんと追って見せてくれる。どのパスが起点になり、そのとき誰がどのように動いていて、ボールには絡んでいない選手がディフェンダーを引きつけたから、ストライカーのマークがずれて……。みたいな解説を時にはマーカーなどを使ってみせてくれたりもする。


至れり尽くせりである。もちろんライブ放送では、カメラの数が限られているから全体像をくまなく見通すことなど無理である。よってサッカー本来の魅力、つまりボールのないところでの動きをきちんと見ようと思ったらスタジアムに行かなければならない、という話にも納得はできる。


が、たぶん、飽きちゃうと思うのだ。サッカーはテレビでしか見たことがないから。小さい頃から何回か生で見たことのある野球でさえ、今ではテレビで見る方が楽で楽しくて飽きない。だって、テレビってそういう風に徹底的に考え抜かれた編集が加えられているのだから。


しかも生で見るより圧倒的に情報量も絞り込まれているから、脳だってラクチンだし。その善し悪しについての判断は留保するけれども、テレビとライブを比べてみた時、編集の力がどれだけ大きいかということは認識しておいた方がいいのではないか。そんなことを思った。



昨日のI/O

In:
『脳と音読』川島隆太・安達忠夫
Out:
同志社大学・橋本教授インタビュー原稿

昨日の稽古:

・腹筋、懸垂