読書時間をどう確保するか
「一日、原則として6時間の読書時間をとる(佐藤優『「諜報的生活」の技術』講談社、20P)」
しかも仕事(佐藤氏の場合、現時点での原稿執筆ということになる)に関係のある本を読んでいるのではない。6ヶ月後ぐらいに話題になりそうな本を集中的に読むという。
真似できません。
が、真似できないで済ませていていいのか、と反省もした。佐藤氏は同い年である。ほとんど関係ないけれど、十代後半から二十代前半までの数年間を同じ京都で過ごしてもいる。少しは関係あるかも知れないけれど、中学高校時代の同級生で一人、外務官僚になった奴もいる。もしかしたらそいつはキャリアだから、純粋に同僚とはいえないけれど同じ外務省の職員ではないか。
とりあえず今さら勝てるはずもないけれど、ちょっとぐらいは負けたくないなと思うのである。佐藤氏のように本を書くことはできないし、思考を煮詰めることもできないけれど、本を読むことにかけては足元ぐらいまではいけるかもしれんと思うのである。それに書く仕事のクォリティを高めるためにも、本を読むことは必須だと思うのである。
では、いまの『お一人様仕事術』を続けていて、一日6時間本を読むことができるか。残念ながら無理だ。時間あたり生産価値が低いがゆえに最低限の労働時間を確保し、睡眠時間も病気にならない程度にキープし、息子と話をする時間もないがせにはできないし、出張時以外は犬の散歩が家人といろいろな話をする貴重な時間であり、レベルが低いとはいえ仕事をした後には少し頭を緩めるためお酒をたしなむ時間も欲しいではないか。さらにはそろそろ一日わずかでいいから、屋上道場で稽古を復活させたい。
時間が足りません。
が、本当にアイドルタイムがないかといえば、そうでもない。日々の行動を振りかえってみると「それ、もっと他のことに使ったらええんちゃうん」と突っ込みを入れたくなる時間は、確かにある。ネットを眺めている時間である。
昔に比べれば、ずいぶんとコンパクトにはなった。たとえばメルマガでいま定期的に読んでいるものはない。巡回(ということば自体が、ほとんど死語だと思うけれど))しているサイトも、ごくわずか。それじゃ何を見ているのかというと、自分のブログと自分が仕事で関わっているサイト、Googleリーダーで集めているブログ、mixiとニュースサイトである。
ところが、こうしたサイトをちょっと時間があくたびに、あるいは仕事に一区切りつくたびに見ていると、トータルタイムでは結構な時間になってしまう。削るならここである。つまり、まだカットできる時間があったということだ。
こうやってブログを書いている時間はどうなんだ? と一人突っ込みをいれると、これは自分なりにものを考えている時間であり、文章を書く仕事をするうえでの習作の時間でもあるので、今はまだ必要だ。
では、ここで思いきって発想の転換をすればどうなるか。すなわち一日の予定を考えるときに、まず読書時間の枠をとってしまうのだ。さすがに6時間は無理だとして、佐藤氏が原稿に追われたり出張に出るときのノルマ3時間ぐらいなら何とかなりはしないか。それも3時間ぶっ続けではなく、朝1時間、昼1時間、夜1時間ぐらいに分ければ何とかなるのではないか。
と考え『最低3時間』を意識して読むようにしている。意識的に本を読むのには、川島先生(脳トレシリーズで有名な東北大学教授ですね)の影響も強い。実際にお会いして話を伺って「あっ、この人すごい。この人のいうことは間違いない」オーラをたっぷり浴びてしまったのだ。取材前にも読んでいたが、取材後にも続けて読むことで今やすっかり川島信者となっている。ちなみに川島先生も同い年である。
そんなことを思いながら、私淑しているある方に「そろそろ、また一度飲み会でもいかがですか」メールを送ると「飲み会・食事会でなく、目的をもった打ち合わせなら、事務所でも喫茶店でも大歓迎です。私も、昔のように若く無いので、今しないといけない事を日々考えながら悔いを残さない人生を歩むには、どういう事業の方向性が良いかも考えつつ、進めています」と返事をもらった。
悔いを残さない人生を歩むために今しないといけないことを日々考える。深いことばである。まず読書3時間枠の確保から始めてみよう。