世帯年収と成績格差


正答率にして20ポイントの差


例えば算数の平均正答率について。親の年収が

「1200万円以上1500万円未満」は65.9%で、「200万円未満」の42.6%と23.3ポイントの開きがあった。
国語も同様の傾向で、平均正答率が69.4%の国語Aでは「200万円未満」が56.5%、「1200万円以上1500万未満」は78.7%(日本経済新聞2009年8月5日付朝刊34面)


これを受けて二日後の日経朝刊のコラム『春秋』には、次のような一文が記されていた。

学校外の教育にどれだけお金をかけるかが、成績格差の大きな背景に違いない。
(中略)
余計なお金をかけなくても、まず学校だけでしっかり学べるように授業の中身と環境を整えなくてはなるまい(日本経済新聞2009年8月7日付朝刊1面春秋)


何か違和感を覚えませんか。確かに統計データとして世帯年収が違うと正答率に差が出ることはわかった。いわれてみれば東大生の親の平均年収が1000万円ぐらいだという話を聞いた記憶もある。世帯年収が高い方が、成績がよくなるといった相関関係は認めても良いのかもしれない。


では、逆の問いを立てるとどうなるだろうか。つまり、なぜ年収が低い世帯の子どもは、成績がよくないのだろうか。苅谷剛彦氏の『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会有信堂高文社 2001年)』に、その答えが読み取れる。

分析の結果、近年では、比較的低い階層の出身者にとって、『学校を通じた成功物語』から降りてしまうことが、自信の形成につながること、そして、そのようにして形作られる自己の有能感が、翻って彼らをますます学習から遠ざけてしまうメカニズムが作動し始めていることを実証的に提示する(同書、24P)


平たくいえば、年収が低い世帯では、家庭内「勉強なんかしてどうなるんだ」とか「学校で勉強しないほうが良いのだ」といったムードができているということだ。すなわち子どもではなく、まずその親が勉強することに対する価値を見いだせていない。


この先はあくまでも推測でしかないが、例えばそういう家庭に本がどれだけあるだろうか。あるいは親が本を読んでいる姿を子どもが目にすることがあるだろうか。ここも逆を考えてみたいのだが、では世帯年収が1000万円を超えている家庭には、本がどれぐらいあるだろう。


本がすべての基準だなどと暴論をはくつもりは毛頭ない。が、本を読むこととテレビを見ることを、同じ時間を消費する行為として並べて考えるときに、どちらが脳に負荷をかけるかは明らかなのだ。この問題については、東北大学川島隆太先生が実験結果に基づいた判断を下している。テレビを見ているときの方が、圧倒的に人の脳は楽をしているのである。


そして人間の体の機能は、楽をすることによって確実に衰える。であるならば家庭で親が率先してテレビを見ていて、子どもも一緒にテレビを見ていれば、その子どもの脳は楽をすることになる。


世帯年収で成績格差が付いてしまう問題の根は、とても深いのだと思う。「奨学金など支援充実を((日本経済新聞2009年8月5日付朝刊34面)」で、この問題が解決するとは到底思えないし、ましてや「学校だけでしっかり学べるように授業の中身と環境を整えなくてはなるまい(日本経済新聞2009年8月7日付朝刊1面春秋)」なんて端から無理な話なのだ。


そうではなく、まずその子たちの親に対して、少なくとも子どもが勉強するのを邪魔しないよう求め、あるいは勉強に対する否定的態度を見せなよう求めることが第一。次にはそうした家庭の子どもたちを、学校、それも具体的にはおそらくは小学校低学年時の先生がまず受け入れること。叱咤するのでも、評価するのでもなく、まずありのままを受け入れ、認め、将来の可能性を気づかせてあげること。


そしてほんの少しずつで良いから、本を読んだり勉強したりするクセを付ける。できたことをきちんと認めてほめてあげる。ほめられた子どもはモチベーションを少しずつ高めていく。そこで回り始める良いサイクルを家庭でぶちこわしにされないよう気を配る。


これがスタートであり、ここにしか改善の糸口はないのだと思う。そのための仕組みと仕掛けが絶対に必要だ。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ホームページ、リニューアルしました。
ぜひ、一度見てやってください。
http://www.com-lab.org/
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


昨日のI/O

In:
『大学経営を斬る』梅津和郎
『知識社会と大学経営』山本眞一
Out:
広報さん取材記事
カカクコムインタビューメモ

昨日の稽古:

懸垂・腹筋・拳立て・正拳突き