つたわるフォント



横線部分を1.8倍太く


大日本印刷が開発した「秀英横太明朝」は、デジタル画面での表示用に横線を太くした。ケータイ電話では確かにこれぐらい横線が太い方が読みやすそうだ。


そもそもデジタルモニター上での表示は、基本的にゴシック体が使われる。だから、たまに明朝体を見かけると新鮮だ。いま、このエントリーを書いているエディターで表示用に使っているフォントも、ヒラギノ角ゴシックProW3。仮にこれをおなじウェイトのヒラギノ明朝ProW3に変えてみると、何となく頼りない。


もちろん、これは慣れの問題が大きいのだとは思う。Macに搭載されているフォントと言えばOsakaだった。なぜその名前が「Osaka」になったのかは不明だが、とにかくMacデフォルトはずっとこれだったのだ。このOsakaがまあ、見づらいわけでは決してないのだが、お世辞にも美しいとはいえない書体だった。


しかし選択の余地はないのである。我慢して使い続けているうちに、人間の馴れ(というか感覚の麻痺といった方が正確かもしれない)は恐ろしいもので、Osakaの美しくなさにも不満を感じなくなった。こうした感覚の変化には、もう一つ大きな環境の変化がバックボーンとして絡んでいる。それはデジタル書体の氾濫だ。


17年ぐらい前DTPに携わりだした頃には、書体といっても選択肢はごくごく限られたものでしかなかった。太ミン、太ゴ、中ゴシック、見出し明朝に見出しゴシック。これだけである。やがて少しずつ使える書体が増えてはいったものの、字詰めがどうにも醜い。なるほど「醜い」は「見にくい」から来ているのだな、などと妙な納得をしたのもこの頃の話だ。


とにかく書体といえばMM-OKLこそが最高に美しい、ゴシックならゴナに限るという美意識を叩き込まれていたゆえに、太ミンのとげとげした感じや、新ゴのだらしなさが嫌で仕方なかった。が、なぜか写研はDTPにかたくななまでに対応せず、モリサワフォントしかないのだから仕方がない。QuarkXPressに字詰めソフトを入れ、とにかく詰め詰めにして文字を組んでいたのだ。今から思えばこれもまた著しくリーダビリティを阻害していたとは思うけれど。


時代の変化は、文字環境にさらなる試練を与える。インターネットである。ホームページ表示となると、どんな書体で読ませるかをデザイナーサイドではコントロールできない。CSSもまだなかった頃には、文字組もむちゃくちゃである。もうパラッパラというか、読みにくさの極致というか。テキスト情報がメインであるにもかかわらず、読むことに非常に疲れるのが初期のウェブページだったのではないか。


だから、こだわりのあるデザイナーなどは、Illustratorなどのアプリケーションを使って、自分で納得のいくように文字を組み、それを画像としてサイトアップしたりしていた。見た目は読みやすいのだが、何しろデータが重くて表示に時間がかかる。当時はまだ電話線接続かよくてISDNの時代だから、画面が出てくるまでに時間がかかるページはすっ飛ばされる。


いってみれば文字にこだわるデザイナー受難の時代が、長く続いていたのだ。とはいえ状況は少しずつ改善され続けていたわけで、Macで普通に使える書体が増え、モニターでの表示もそれなりに見れるものとなってきた。と同時に印刷物でもDTPで組まれた文字しか読まないようになり(未だに写植を使っている印刷物なんてあるのだろうか?)、目も完全に馴らされてくる。


そこでさらに新しい視点を持ち込んだのが、博報堂が慶応大学と共同で開発した『つたわるフォント』というわけだ。見本はここから落とせる(→ http://www.hakuhodo-ud.org/)。これ、なかなか良いと思います。まず何より読みやすい。そして、この読みやすさには「やさしさ」を感じる。


当たり前といえばその通りで、この文字の開発思想にはユニバーサルデザインがあるのだ。文字としての美しさを追求しているのはもちろんだが、それよりもベースとなる視点に「いかにして誤読を避けるか」がある。こうした視点からロジックで文字の読みやすさを追求した書体が『つたわるフォント』なのだ。だから、このフォントは、これまでの数多のフォントとは、開発思想と開発手法がまったく違うといっても良いかもしれない。


従来のフォントは、フォント開発者の美意識にイニシアティブを握られていた。確かに文字に対して鋭い感覚を持ったデザイナーが造形するフォントは美しい。田中一光さんが開発した明朝などは、ほれぼれするほどの美しさがある。が、その美しさは誰にとっても読みやすいかといえば、誤読の可能性がない、とは言い切れないのだ。


ところが『つたわるフォント』の開発過程では、どう表示されているときに人は誤読するのかが突き詰められていて、そうした誤読ポイントを一つ一つ丁寧に潰すように文字が設計されている。だから読みやすい。そしてその読みやすさの原点となる思想に「誰にでも読みやすく」という「やさしさ」がある。だから、結果的に『つたわるフォント』で組まれた文章には、見た目にやさしい感じを醸し出している。


文字は文化を運ぶ器のようなものだ。こうしたフォントが開発されたことは、ちょっと大げさかもしれないが日本文化にとっても、結構画期的な出来事だと思った。



昨日のI/O

In:
『キラークエスチョン』山田玲司
Out:
N社新製品プロモーション企画書


昨日の稽古:

ジョギング、腹筋、拳立て、ほぐし柔軟