ツイッターはホントに世界を変えるか


ツイッター 140文字が世界を変える (マイコミ新書)

ツイッター 140文字が世界を変える (マイコミ新書)



このエントリーは、R+さんから送っていただいた献本『ツイッター140文字が世界を変える』を読んでのレビューです。
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文字数わずかに140文字


ツイッターが話題になりつつある。ツイッター関連の本が相次いで出され、著名人がツイッターを使ってつぶやき、そのつぶやきをフォローする人が増加中。アメリカではオバマ大統領も使っているし、日本でも鳩山首相がいつからつぶやくかが注目されていたりする。


確かに新しいメディアとして注目を集めているのがツイッターだ。


実はツイッターには個人的に少しばかり印象深い思い出がある。もう2年以上前に『Twitter、ヤバクね?(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20070510/1178788461)』なるブログエントリーを書いたところ、はてブでいろいろなコメントをもらったのだ(→ http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/atutake/20070510/1178788461)。このブログは長文エントリーが多く、あまりたくさんの方に読んでもらってはいない。けれどもツイッターに関してのえんとりーとなると、かなり多くの人に読まれたようで、中には手厳しいはてブコメントもついた。こうしたことがあったため、ツイッターに対してはある思いがずっと残っていたのだ。


当時書いたエントリーの主旨は、短文を一方的につぶやくことが習慣化するとコミュニケーション能力が低下するのではないか、という問題提起だった。これに対して返されたコメントには、大きく分けて二つの方向性があった。一つは、短文を書いたからといって長文を書く能力が劣るとは限らないという意見。これについては自分の考えがいかに浅かったかを思い知らされ、結構落ち込んだりした。


もう一つは「ツイッター」はそもそも独り言をつぶやくためのツールであり、人とやりとりするためのものじゃないという考え方だ。少なくとも2年前にツイッターを使っていた人たちの多くは、そう考えていたのだろう。当時はまだ、ツイッターはコミュニケーションツールじゃなかったのだ。


それから2年経ってみて、何を思うか。まず短文を書く方が、だらだら長文を書くよりもより高いテキスト作成スキルを求められると言うこと。これは言われた通りです。そして、もう一つは、今やツイッターは完全なコミュニケーションツールになったということ。ツイッターを使っているすべての人が、とまでは言わないが、今や多くの人にとってツイッターはコミュニケーションツールになっていると思う。


コミュニケーションツールとしてツイッターを捉えるなら、確かに『世界を変える』可能性があるだろう。ただし、ユーザー数がもっともっと増えれば、という前提付きだけれど。


今でもすでにツイッターをきちんとコミュニケーションツールとして活用している人はいる。例えばフォロワーの数が千人(あるいは一万人ぐらい?)以上いて、東京で暮らしている人ならそれなりにおもしろい使い方もできるだろう。


本書でも紹介されているけれど、フォロワーの多い人(マーケティング的に言えばいわゆるイノベーター層に属する人)が「ビール飲みたい」とつぶやいたら、ビールオフが開催されたというケースがある。あるいは「友だちに赤ちゃんができたから何か贈りたいけれど、なにがいいかな?」とつぶやいたら、みるみるアドバイスが集まったケース等々。


でも、同じことをフォロワー数が二桁レベルで地方在住の人がつぶやいても、それはネット空間にはかなく消えていくつぶやきでしかない。では地方在住の人にはツイッターを使うメリットはないのか。といえば、あながち悲観するばかりでもないのだろう。要は自分のつぶやきを誰が、どれぐらいフォローしてくれているかがポイントなのだ。


仮にフォロワーの数が20人しかいなくても良いではないか。数は少なくともフォロワーたちのほとんどがリアルでつきあいのある知人、友人だとする。その人たちが、リアルタイムに近いタイミングで読んでくれることを意識したつぶやきには、何が期待できるか。ツイッターはこれまでのコミュニケーションツールとは次元の異なる役割を果たし、これまであり得なかった効果を発揮するのではないだろうか。


このつぶやきがケータイメールと違うのは、一対一ではなく最初から一対多のネットワークが成立していることだ。もちろん一斉同報メールを使えば同じ効果があるのかもしれないが、最初のつぶやきが引き起こす次のコミュニケーションに決定的な違いがでる。メールがあくまでも一対一(あるいは一対多)に終始するのに対して、ツイッターは容易に一対多から多対多コミュニケーションへと発展することが可能なメディアだ。


と同時に「つぶやき」の軽さもコミュニケーションを活性化させそうな気がする。同報メールだとしてもメールはあくまでもメールだ。読み手に向けて自分が「意識して書いた」メッセージが、メールには記されている。これに対してツイッターでのつぶやきには、メールメッセージほどの重さがない。稀に思いを込めた重いつぶやきが混ざることもあるだろうけれど、読み手はそれをスルーできる。


こうしたツイッターの特性が、コミュニケーションのハードルを著しく下げる可能性がある。あの勝間和代さんに対してさえ、誰がリプライしてもオッケーなのだ。その結果運が良ければ勝間さんからダイレクトに何かメッセージが届く可能性が開かれている。


もしかしたら本仮屋ユイカさんのつぶやきをどこかで見つけて、リプライしてコミュニケーションできて……。なんて妄想が実現することはあり得ないだろうけれど。それはさておき。


ともかく、これまでその人とコミュニケーションできる可能性がゼロだった相手とでも、何らかの形でコミュニケートできる可能性を生み出したのがツイッターというツールのすごさだ。その意味で、今後の使われ方と普及の仕方によっては本当に『世界を変える』可能性はある、と思った。



昨日のI/O

In:
『漢字』白川静
Out:
某通信会社エンジニアさんインタビューメモ


昨日の稽古:

腹筋、拳立て