頭の中をシャッフルする道具





このエントリーは、R+さんから送っていただいた献本『COURRiER Japon1月号』へのレビューです。
http://courrier.jp/


130分の1


あえて極端な評価をするなら、ポール・クルーグマンの連載(今月号では19ページに掲載)を読めるだけでも、『クーリエ・ジャポン』は手に入れる値打ちがあると思う。クルーグマンがトピックとして取り上げるテーマ、そして、その切り口の鋭さには、日本のマスコミでは味わえないテキストを読む楽しさがある。


今号のテーマは雇用問題とその対処法だ。例に挙げられているのはアメリカとドイツ。「両国とも深刻な経済危機に襲われ、その結果、雇用が減った」が中身が違う、なぜなら雇用政策がまったく違うから。というイントロからスタートして、5つめの段落で早くもクルーグマン節が炸裂する。

米国の雇用政策の背景にある思想は、こう要約できる。
「景気がよければ、雇用は増える」
言い換えれば、米国には実際、雇用政策は存在しないということだ(同誌19ページ)


この見事なまでのぶった斬りようはどうだ。賛否両論あるのは承知の上で、これこそまさにクルーグマンの真骨頂である。もちろん、切って捨てるだけなら、ただの皮肉屋でしかない。しかしアメリカとドイツを対比させて雇用問題の最適解を求めるのが、この論考のそもそもの目的だ。


ズバっとした切り込み方で読み手を引きつけながら、落としどころとしては、雇用問題をどうやって解決すべきかというクルーグマンなりの案がきちんと示されている。具体的な内容については本誌をお読みいただくとして、ここで一つ強調しておきたいのが、自分がいかに視野狭窄に陥っているかを自覚することの大切さだ。


思考バイアスは誰でも必ず持っている。生まれ育ってきた環境、受けてきた教育によって、持っているスキーマに自分の思考は必ず影響されてもいる。だから自分の考え方や人の意見の受け止め方には、少なくともどんな傾向があるかぐらいは、いつも意識しておいた方が良い。


とはいえ、これは「言うは易く行うは難し」の典型でもある。そのために何よりよいのが、自分とは思い切り違った視点から書かれたテキストを読み込むことだ。本当は、自国語以外のテキストを原文で読むのが、そうした訓練には最適なのだと思う。なぜなら自国語のテキストであるだけで、自国語スキーマの影響をある程度受けるだろうから。


しかし現実的に英語でクルーグマンのテキストを、さっと読みこなせる人はそんなに多くはいないだろう。だから『クーリエ・ジャポン』のようなメディアの存在価値は高いのだ。例外はあるにせよ、日本のマスコミ文法に縛られ、それ故の自主規制にはまってもいる日本のマスコミにしか、普段はなかなか触れられないのだから。


日本のマスコミ報道をみているだけでは、自分の考えをシャッフルすることは難しい。例えば今号の特集『新世紀ベルリン』について考えてみても、それは明らかだろう。壁が崩壊した記念日の日本のマスコミの取り上げ方は、祝賀イメージ一色だった。確かに壁はなくなってよかったのだ、大勢としては、間違いなく。


しかし崩壊によって、負の遺産が生まれていることを、私たちは知らない。そんなことは日本のマスコミ的にはニュースバリューが低いと見なされるから報道されない。もちろん例えば新聞の限られた紙面の中で、何を伝えるべきかは然るべき判断基準に従って優先順位が付けられているわけだから、あえてネガティブニュースを掲載する必要はない、という事情はよくわかる。


だからこそ、読み手が注意する必要がある。本当にベルリンの壁が崩壊したことをただひたすらに、おめでたいとだけいって済ませていればいいのかどうか、自分で疑問を立てる必要があるのだ。そうやってアンテナを張っていれば、特集の記事の一つ「東独スポーツ界の元アイドル”負の遺産”との終わりなき闘い」という記事(同誌52ページ)が目に飛び込んできたりする。


扉ページには女子砲丸投げ選手の横に、中年のおじさんの写真が添えられている。驚くなかれ、おじさんはピンク色のほほをした砲丸投げ選手のなれの果てだというのだ。信じられないことだが、筋肉増強剤として男性ホルモンを投与され続けていたこの旧東独のスポーツエリート女子選手は、体に変調を来したのだろう、仕方なく男性に性転換して余生を送っているのだという。


あえて自分の視点を逆方向に振ってみるなら、東独住民の中には、壁が崩壊して不幸になった人もいるはずだ、という問いの立て方ができるだろう。そうした気づきは、現時点で東西の格差に悩む人たちの存在にまなざしを向かわせる視野の広がりにつながるはずだ。


たとえ同じリンゴを見るとしても、見る角度によって、見るタイミングによって見え方は異なる。だから、努々、たまたま今の自分の目に映っている像を絶対普遍の真実だなどと思ってはいけない。それは自分の思考怠惰でしかない。


そうならないためのの最高の素材を提供してくれるのが『クーリエ・ジャポン』のようなクォリティペーパーなのだ。


昨日のI/O

In:
上田埼玉県知事インタビューメモ
Out:


昨日の稽古:

・ジョギング