クセを矯正するための型



平安一で二十動作

型である。空手の稽古法の一つに、型がある。型なんか稽古して実戦に役に立つのか、という疑問も常々いろんな人が訴えている。それも宜なるかな。例えば平安二の最初の動作など、何の意味があるのかさっぱりわからない。


それでも型には実は隠された意味があるというのが、ここ何年かの定説となっていて、型の動きを分解して教えてもらうと、なるほど確かにそれは使える、と納得できたりする。型は実に奥深いものなのだ。


ただ、最近、型の稽古にはそうした実践的な教えを体に覚え込ませる目的に加えて、もう一つとても重要な役割があるのではないかと思うようになってきた。その役割とは動きを型にはめることだ。


先ほど例に引いた平安二の第一動作などが、もしかしたら、型にはめるための典型的な動きではないのだろうか。この動きをあえて言葉で説明するなら次のようになる。左を向きながら左拳を下から突き上げ、同時に右拳を大きく頭上を回して突き上げた左拳の上に持ってくる。


これも解説書によれば、なるほどと思える解釈がある。あるのだが、その狙いとする受けと攻撃を身につけるためなら、他の動きでも良かったはずだ。それをあえてこの一見極めて不自然な動作をさせる意味は何か。と考えたときに思い浮かんだのが「型にはめる」ことだった。


では、なぜ型にはめる必要があるのか。型にはまった動きしかできないのでは、当然実戦では身を守ることさえ満足にはできないだろう。それでも空手を修めるためには、いったん型にはめる必要があるのだ。なぜなら人が生まれつき持っているクセを矯正するためである。


そもそも人には利き手、利き足がある。右手と左手をまったく同じように動かせる人は滅多にいないだろう。ゆえに成長するに従って、体には必ず何らかのゆがみ、偏りが生じる。利き手、利き足だけではなく他の要因からも、人は一人ひとりさまざまに動き方のクセがあるはずだ。たとえばイスに腰掛けるときの姿勢一つ取ってみても、人それぞれバラバラだ。


これが知らず知らずのうちについているクセである。このなくて七癖が実はくせ者なのだ。クセは予備動作にも出る。右の突きを出すときに必ず左手を少し前に出すとか、あるいは右の回し蹴りを出すときには必ず左手がいったん下がるとか。


こうしたクセが本来の武道では致命的であることは、いうまでもないこと。クセを見破られれば、相手に自分の動きを予測されてしまうことになる。それはどう考えてもまずいのだ。故にクセは消さなければならない。そのために型にはめる。これが型稽古の重要な意味ではないのだろうか。


そしてクセの矯正は、自然な形で体の偏り、ゆがみの矯正にもつながる。自然のままだと人は、どうしても自分にとって楽な動き方をする。それも広義のクセである。ところがそうした動きで稽古を繰り返すと、それは体の偏りをよりひどくすることにつながる。


下手をするとその状態で稽古を続けることで、体のどこかに無理が溜まり、遂には体をこわすことにつながりかねない。せっかく体を鍛えるために稽古をしていて体を痛めるようでは、まことに本末転倒といわざるを得ないではないか。そのためにも、最初はきちんと型にはめてクセを取ることが大切なのだ。


もとより型は長い年月をかけて、経験合理的に組み立てられてきたもの。その型にきっちりはまることでクセが矯正されると同時に、本来の空手に必要な動きを体に染みこませることができるはずだ。


そして、この先は推測でしかないのだけれど、そうした動きの中には健康法につながるものもあるのではないだろうか。さらに深読みするなら型にはめることはおそらく「守破離」の「守」にあたる。ここは可能な限り、きっちりと型にはめることが、次の「破」にいたる早道でもあるのだろう。


というわけで、今年は、きちんとした型の稽古を自分の課題としてやっていきたいと思う年の初めであった。


ということをめざしたビジネスパーソンのための「肩こり解消・ストレス発散・ダイエット効果もある空手教室」を京都で開催する予定です。やってみようかと思われる方は、ぜひコメントをお寄せいただくなり、メールをいただくなりお知らせいただけるとうれしいです。



昨日のI/O

In:
『貧者を喰らう国・中国』阿古智子
Out:

昨日の稽古:

・懸垂、レッシュ式腹筋