所信表明演説と内在的論理


民主党自民党では何が違うのか


政権交代から100日以上が過ぎた。アメリカ流なら「ハネムーン」期間が終了し、マスコミが冷静に政府の施策を評価しはじめるタイミングに入っている。もっとも残念ながら日本のマスコミには、そうした風習はないようだけれど。


推測するに日本のマスコミの場合、ニュースバリューの判断基準は、特にテレビの場合センセーショナルかどうか(=視聴率を稼げるかどうか)の一点なのだろう。だから、特に揚げ足を取れるようなネタには一斉に飛びつく。飛びついたが最後、その方向性で報道が過熱化する傾向がある。そう考えれば週刊誌なども似たようなところがあるかもしれない。


こうした報道に対しては、受け手がエポケーになっていると一方向に流されたり煽られてしまいがちだ。マスコミ報道を受け取るときに注意すべきは、そこでコメントを出している人のポジションだ。新聞の場合はまだ賛成の立場、反対の立場それぞれ旗幟を鮮明にしている評者の意見を併記するケースが多い。それでも偏りはあると思うけれど、一応賛否両論を知ることができる。


これに対してテレビでは、ニュースならコメンテーターはたいてい一人である。当然、その人は自分のスタンスからのコメントを出すことになり、それには何らかのバイアスがかかっている。ましてや朝のワイドショーなんかだと「どうしてあなたが、そのテーマについてしたり顔で語れるのでしょうか」と突っ込みを入れたくなるようなコメンテーターが、判断基準を明確にせずに思いつきのようなコメントを出している。


もちろん、それでも良いのだろう。受け止める方が「ふ〜ん、こいつこんなこと言ってるけれど、それってどうなの?」とか「なんで、この人はこういう見方をするんだろう?」といった懐疑的な受け止め方をするのであれば。


とはいえ、そのような冷静な判断をするのは基本的に極めて面倒くさいことだ。相手の言っていることを受け入れないということは、何かの疑問点や問題点を自分で意識することになる。すなわち、自分で考えないとならない。へえ〜そうなんだと何でも受け入れるようなエポケーではいけないのである。


「何か変だな」とか「妙だ」という意識を抱えているのは、基本的にすっきりしないものだし、時に不安になったりもする。自分の考えていることが人と違うのかもしれないという意識に、居心地の悪さを感じる人だっているだろう。だから判断停止する。すると何も見えなくなったりする。


何でこんな七面倒くさいことをぐだぐだと考えたかと言えば、今回の政権交代の根底にある意味を、自分でもまったくわかっていなかったことを教えられたからである。誰に教えられたかと言えば、現職の参議院議員佐藤優氏である。


議員氏は、たまたま中学高校大学が同じだったという縁で懇意にしていただいている方だ。もっとも出身学校が同じとは言っても年がだいぶ離れているので、同窓だった期間はまったくない。当然、相手の方の方がうんと若いのだが、その話は極めてクリアかつ慧眼、さらにいろんなことをしっかり勉強されていて話を伺うと教えられることが多々ある。


つい先日、京都駅で2時間ほどお話を聴かせていただいたとき、いの一番に切り出されたのが、次の質問だった。すなわち「自民党政権民主党政権では、どこが一番違うと思われますか?」と。即答できる質問ではない。予算についての考え方、あるいは官僚主導からの離脱などかと思いつつも答えあぐねていると、ひと言「根本的な世界観の違いなんです」と彼は教えてくれた。


では民主党議員(中でもコアメンバー)に共有されている世界観とは何か。現在を非連続的変化の時期と見ること、つまり農業革命、産業革命に続く情報通信革命の時期にあると見ることだ。初耳であり、すごく驚いた。だから「コンクリートから人へ」というスローガンが出てきたのだという。


このスローガンが示しているのは、民主党は何に重点投資するのかということ。民主党は人に投資するのだ。教育関連の投資も同じ考え方に基づいている。もちろん情報通信技術そのものへの投資も必要だが、それより喫緊の課題は技術を使いこなす人を育てることと考えているわけだ。


投資先を変えるためには、投資手法(意志決定のやり方というべきかもしれない)も変える必要がある。確かに表向きの成果は予想以下だったかもしれないが、予算編成にあたって事業仕分けというやり方が持ち込まれたのは、手法を変える文脈の中で読み取るべきだろう。かつてなかったやり方が導入され、予算編成に対する国民を含めた関係者の意識・見方が変わった。これにより来年度のやり方は、さらに変わるだろう。


大切なのは表面上の変化ではなく、そうした変化の根底に潜む内在的論理を読み取ること、というのが佐藤氏の教え。そう考えて鳩山首相所信表明演説を読むと、読み方が変わってくる。麻生首相小泉首相所信表明演説と比べると、民主党の違いはよりはっきりする。興味を持たれたなら、ぜひ読まれんことをオススメする。


ちなみにそれぞれの書き出しと各演説の総字数は次のようになる。


鳩山氏(全文13881字)
あの暑い夏の総選挙の日から、すでに二か月が経とうとしています。また、私が内閣総理大臣の指名を受け、民主党社会民主党国民新党の三党連立政策合意の下に、新たな内閣を発足させてから、四十日が経とうとしています。


麻生氏(全文6264字)
わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、第九二代内閣総理大臣に就任いたしました。
わたしの前に、五八人の総理が列しておいでです。一一八年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続にのっとって続けてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄の如き、連綿たる集積があるのであります。


小泉首相(全文3344字)
この度の総選挙の結果を受け、三度(みたび)、内閣総理大臣の重責を担うことになりました。「改革なくして成長なし」、「民間にできることは民間に」、「地方にできることは地方に」との方針の下、自由民主党及び公明党による連立政権の安定した基盤に立って、引き続き構造改革を断行する覚悟であります。


内容も、語り口も、文字数もまったく違う。



昨日のI/O

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『中国報道の裏を読め』富坂聡
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