マスコミ報道の光と影


中国報道の「裏」を読め! (COURRiER BOOKS)

中国報道の「裏」を読め! (COURRiER BOOKS)


「ちょっと厄介な隣国」


中国については、そんな見方をする人が多いのではないだろうか。例えば日本中を騒がせた毒入りギョーザ問題は未だに闇の中であり、真相が明るみに出ることはなさそうだ。日本的な感覚からすれば信じられないことだが、真犯人は依然として不明、誰も責任を取らないのである。


あるいはまったくスケールの異なる話だが、日中間には歴とした領土問題もある。こちらは海底の資源がからむだけに状況は、ギョーザ問題の比ではなくややこしい。懸案となっている東シナ海海底ガス田開発については領域未確定のまま一方的に中国が開発を進めている。最終的には日本との共同開発という落としどころが出ていたはずだが、すでに中国単独での採掘が進められているようだ。


一体どうなっているのかと不審に思わざるを得ないようなことを平気でやる大国。これが中国については日本のマスコミ報道にしか接しないほとんどの日本人の感想だろう。しかし、本当の現実はそんな一面的なものの見方では決して浮かび上がってこない。


例えば画用紙を両手で持ち、顔の前で太陽に向けてみよう。表側には光が当たり明るくて見やすい。当然のことながら光の当たらない裏側は暗い。そして物事には必ず裏表がある。光を受ける表側は見えやすいが、暗い裏側は放っておくといつまで経ってもはっきりと見えてこない。意識して努力しないと何があるのかはなかなか見えないのだ。


一般的なマスコミが伝えてくれるのは、たいていが取材のしやすい表側である。表だけしか見ないようでは対になっている裏側を見落とす。そうしたリスクを気づかせてくれるのが、この本にあるような実際に中国で地に足のついた取材をして得られた情報だ。


一例としてチベット問題を考えてみる。著者は次のように記している。

日本人が日々接しているチベットに関するニュースは、あくまで日本人視点で切り取られたニュースに過ぎないのであって、中国人が見ているモノとは根本的に違っているからだ。しかもその違いは想像以上に大きい(『中国報道の「裏」を読め』富坂聡、2009年、182P)


チベットに一方的に侵入した中国が悪者、侵略されたチベット人は被害者、だから同情すべきだ。大半の日本人がこのように考えているはずだ。とてもわかりやすい善悪二元論だが、それではおそらくチベット問題の真相はつかめない。


チベット人の多くにとって何が問題なのか。筆者は本質は領土問題ではなく、経済問題なのだと解く。

言い換えるなら、豊かな暮らしができればほとんどのチベット人は中国人に出て行けとはいわないはずだ(前掲書、195P)


冷静に考えてみよう。仮に今のチベット自治区が独立を果たしたとして、そこに住む人々は豊かになれるだろうか。地下資源はあるようだが、それを採掘する技術力はおそらくないだろう。仮に採掘できたとしてもチベットは完全に内陸で孤立した国である。中国と敵対関係にでもなれば、外への出口は極めて限られてしまう。


このあたりの事情を踏まえているからこそ、ダライ・ラマも一方的に独立を求めているとは決していわないのではないか。チベットの人たちの理想は、中国政府の穏やかな庇護下での経済成長なのだろう。もとより中国中央政府は、チベットの人たちが何を求めているのかを理解している。だからこそ重点的に補助金を配分しているのだ。


ところが、そのカネが地元の人たちにスムーズに落ちていかない。配布されたカネは途中で漢民族に搾取されてしまう。だからチベット人は不満を爆発させるのだ。


もちろん中央政府は、そうした状況もある程度は掴んでいることだろう。しかし、そこで起こっている官僚の腐敗を急激に押さえ込むと、その影響が別のところに飛び火しかねない。これが13億人にも及ぶ人口を抱える国の指導者の難しいところなのだ。


こうした状況を筆者は次のように説明してくれる。

中国共産党の指導者の言葉は、日本人には慎重すぎて退屈に思えることがある。だがそれは、中央がほんのわずかでも風を起こせば、それが末端では大風となり、時に暴風となることを彼らがしっているからこそ、なのだ(前掲書239P)


その中国がいま、非常に微妙な時期にさしかかっている。これまでの中国は後発国として、先進国が開発した技術や設備、制度などを後追いで採用してきた。それにより驚異的な経済発展を遂げ、今年そのGDPは日本を追い抜く。そしてまさにそのとき中国は、以前の日本と同じ状況に陥る。


すなわち「追いつき追い越せ」で突き進んできて、遂に目標に「追い越してしまった」ときには、見本を失ってしまうのだ。真似して採り入れることには長けていても、自ら新しいものを創造することに決して慣れていない。

中国経済がどんな構造転換を図るにしても、その手本となるような事例は世界のどこを探しても見つかりそうもないからである(前掲書、37P)


そのとき、中国がどちらを向いて、どのように動き出すのか。日本のマスコミが伝えるであろう表面上に現れた行動だけを見ていては、その内在的論理を理解することは難しい。


中国ではメディアリテラシーの高い人たちほど「政府発表」をどう受け止めるべきかを常に意識している。そこには何らかの情報操作があり、バイアスがかけられていることを前提条件として、発表内容の裏を読むことが習慣化されている。


幸いにして日本では中国のような情報統制はない。だからマスメディアの報道内容こそが真実だと他愛もなく受け入れてしまいがちだ。しかし、それでは受け手として思考停止につながるリスクがある。確かにさまざまなニュースを見聞きするたびに、その裏はどうなっているのだ、などと考えるのは七面倒くさいことではある。


けれども「裏」を読まないと、物事の真相は決して見えてこないのだ。