国母選手のファッション



個性的なのか、品格がないのか


オリンピック・スノーボードに出る国母選手の服装が物議を醸している。選手団の正装のネクタイをゆるめ、シャツをズボンの外に出し、そのズボンはズリパンにしてはいた。確かにだらしなく見える。


この格好に対して「品格がない」という批判がある。品格があるのか、それともないのかは、何を以て品格とするかに変わってくるだろう。だから、ここでは品格があるかどうかはカッコに入れておく。


ただし彼の格好が「個性的」だとはまったく思わない。そして、この点だけは誤解しない方が良いのではないか、というのがこのエントリーの問題意識だ。彼のスタイルは、決して個性的なのではなく、いわゆる今風の若者に共通するスタイルでしかない。これは推測になるが、おそらくは「ボーダー」と呼ばれる方達の多くが、同じような格好をしているのではないだろうか。


その意味で国母選手は「個性的」なのではなく「自分はボーダーなんですよ」というアピールをしたかったのだと思う。なぜなら、いわゆるボーダー達は、たいてい国母選手と同じ格好をしているはずだから。そのように特定のグループの一員と同じ格好をすることによって、そのグループに属していると認められることを、個性的とはいわない。あるいは、そのようにあるグループの一員であると認められたいと求めている人を、個性ある人とはいわない。


個性的とは「独特」であることだ。これを突き詰めるなら、天上天下唯我独尊に行き着く。もし、今回、国母選手がオリンピック選手団に与えられた服装ではなく、ボーダーの典型的なファッションでもなく、もっとオリジナリティのある格好をしていたのなら、それは「個性的」と呼んで然るべきだろう。


だが、彼がやったのは正装をボーダー風に着崩しただけのこと。そんな中途半端なことをするぐらいなら、そしてもし彼が本当に自分が個性的であることをアピールしたかったのなら、正装ではなくボーダーの普通の格好をしていれば良かったのにと思う。


正装を着ていないと選手団用の飛行機に乗せないといわれるのなら「いや、自費で行きますし」ぐらいのことをいえばいいし(別便でオリンピック入りする選手達はどんな格好をしていくのだろう?)、正装を着なければオリンピック出場は認めない(そんな規定がまさかあるとは思えないが)といわれるのなら、そのときは堂々と「じゃ、良いです。出ません」ときっぱり断る。


それぐらいのことをやったら「個性」がある、と認められたと思うのに。


個人的には、ズリパンの是非は以前のエントリーに書いた通り(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20100114/1263433277)。戦う人間としては極めて不利なスタイルだと思っている。だから、国母選手はもともと、それほど、戦う男じゃなかったのかもしれない。でも、せっかく出れるようになったのだから、がんばってほしいな。



昨日のI/O

In:
『論文・プレゼンの科学』河田聡
これはすごい本です。どうすごいのか、ちょっとまとめて考えて、書いてみます。

論文・プレゼンの科学―読ませる論文・卒論、聴かせるプレゼン、伝わる英語の公式

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昨日の稽古:

・ジョギング9キロ/60分