同い年の人生を聴く楽しさ


50歳が11人


集まった。同窓会である。小学校の同窓会には8年前から参加するようになった。42歳、ちょうど卒業30周年である。節目の年だから全クラス合同(対象は5組で合計200人ぐらい)の同窓会をやろうと言い出した人がいたらしい。


とはいえそんな動きが起こっていることはまったく知らなかった。小学校卒業後に京都から大阪に引っ越し、しかも奈良の中学校に通うというアクロバティックな進路を取ったために、小学校時代の友だちや知人とはまったくの音信不通状態となっていたのだ。


以降、小学校時代の知人との接点といえば、大学一回生の夏にほんのかすかなすれ違いのようなものがあっただけ。大丸の物流センターで中元仕分けのバイトをしていたとき、たまたま同志社大学の学生が同じチームにいた。小学校で仲が良かった奴が、確か同志社に通っていたことを思い出して尋ねてみると「ああ、そいつなら知ってるよ」と。


それだけである。知ってるならケータイの番号かメアドを教えてくれ、とはならないのだ。何しろ31年前には、そんな便利なツールはまだなかったから。中学で大阪に引っ越して以来、野洲町(滋賀県)、大津市滋賀県)、北白川に一乗寺、それからまた大阪を転々としてのち奈良に移っていたわけで、年賀状のやり取りもいつしか完全に途絶えていた。


だから、まさか小学校時代の友だちと再会する機会が、この先あるなどどはこれっぽっちも思っていなかった。というか正直なところ、小学校時代の思い出なんて、自分の中ではある種なかったものとなっていた。


ところが、ネットのおかげで、向こうから私を見つけてもらったのだ。どこで見つけてくれたのか知らないが、同級生からいきなりメールをもらい、それから同級生が集う掲示板を教えてもらい、そして30周年記念同窓会に誘ってもらった。


30年ぶりに再会した30年前の同級生たちは、確かにみんな30年分だけ歳を取っていたけれど、印象はそれほど変わっていなかった。


それから2年に一度ぐらいのペースでクラス同窓会が開かれている。昨日は、そのクラス同窓会が2年ぶりぐらいに開かれたのだ。場所は京都、伏見桃山である。


たまたま用事があって市内に出向いてきていた同窓生と地下鉄で待ち合わせて、桃山御陵前まで行く。約束の時間には少し早く着いたので、彼と一緒に街を少し歩いてみた。小学生時代に何度も何度も歩いたはずの商店街は、記憶の中のイメージとはずいぶん異なった装いに変わっていた。


ずっと地元に暮らしている彼から「ここは○○の店だったけれど、何年か前にこんなお店に変わったんや」とか「ここにあった文房具屋さんは100均ショップができて潰れたなあ」とか、話を聴きながら歩いていると、あっという間にアーケードの端っこに行き着く。小学生時代には、この商店街を端から端まで歩くのは、ちょっとした冒険だったのに、大人の足ではあっけないぐらいに短い。


その後小学校に行き、30年前の通学路をたどってみると、これもずいぶんと近い。当たり前といえばそうなんだけれど、子どもの頃の思い出と今では距離感とスケール感がまったく違っている。感覚的には、子ども時代の方が距離も時間も倍ぐらい長く感じていたようだ。


そして居酒屋さんでの集い。たまたま隣に座った相手と話すのは、これが実に小学生時代を含めて初めてではないかと思った。相手がどちらかといえばあまりしゃべらないおとなしい人だったこと、家の方向が違ったこと(だから通学で一緒になることはない)、そしてたぶん一緒に遊ぶグループが違っていたことなどが理由で、小学校の時にはほとんどまともに話したことなどなかったのだ。


その彼も、今や50歳である。こちらからいろいろと尋ねてみると、ぽつぽつとではあるけれども、口を開いてくれる。中学校時代のこと、高校に入るときにみんなとは違う道を選んだこと。自動車が好きで整備の仕事を選んだこと。何回か会社を変わりながら、それでも一線の整備士でいられるようにずっと勉強を続けていること。


最近のクルマはどんどんブラックボックス化が進んでいて、なかなか腕をもう存分ふるう機会がないこと。娘さんのこと、奥さんのこと。当たり前のことだけれど、人が50年生きてきたということは、それだけの経験を積み重ねてきたということだ。そして、その経験は、ほかの誰の経験とも交換することはできない。その人だけの人生である。


別に驚くべき事件があったわけではない。心ときめくようなラブロマンスもなかったようだ(実際にはあったのかもしれないけれど、聞き出すことができなかった)。淡々と、でもきちんと仕事をし、家族を養い、こどもを育ててきた50年間の人生。


同級生じゃなかったら、たぶん、そんな話を聴こうとは思わないのだろうし、彼だって、小学生時代特に仲が良かったわけでも何でもない私に、そんな話を語ろうとは思わないだろう。でも、子どもの頃の何年かを同じ教室の空気の中で過ごしたというだけで、何か特別な親近感を自然と抱くことができる。


離れていた何十年間かを一気にチャラにして話をできる。同窓生とは、とても不思議で得難い貴重な存在だ。


昨日のI/O

In:
『めくらやなぎと眠る女』村上春樹
Out:
マザーハウス・山口絵里子社長インタビューラフ原稿

昨日の稽古: