地下鉄四条駅のデッドスペース



距離にして、おそらく10メートルほど


京都市営地下鉄四条駅北口改札の位置が変わった。もともと妙な構造の駅ではあったのだ。何しろ改札口を入ってから、乗り場までがやたら遠い。乗り場は地下二階、改札は地下一階にある。だから改札から乗り場までは階段もしくはエスカレータを使わなければならない。ところが改札口から階段・エスカレータまでのアプローチが、異常に長かったのだ。


切符をとってからエスカレータまで、ざっと30メーターは歩かされたのではないだろうか。こんな妙な構造の駅となった理由は、ここが阪急烏丸駅との乗り換え駅となったからだろう。以前からある阪急地下線をくぐるために地下鉄は、より深いところを通さなければならない。駅プラットフォームそのものも、恐らくは阪急の駅直下というわけにはいかなかったのだろう。阪急駅からずいぶん南にずれた位置に作られている。


とはいえ乗り換え駅とあれば、阪急の改札からの距離はできるだけ短く設定したい。といったさまざまな条件を折衷した結果、阪急の改札から10段ほどの階段を下がったところに切符売り場が作られた。切符売り場から改札が離れているのはおかしいとばかりに、改札口も阪急よりに設置された。その結果、改札を入ってからホームまで長い距離を歩くことになった。


すると、どうなるか。


改札の中に広大なスペースができるのだ。やがてこのスペースを活用しないのはもったいないと誰かが訴えたのだろう、パン屋さんができた。しかし、これはあくまで改札内にあるパン屋さんだ。だから店の裏側の通路を歩く人たちが、パンを買うことはできない。筆者は、そのパン屋さんを好むのだが、まさか店の裏から声をかけるわけにはいかない。「パンを食べたい」と思っても我慢するしかなかった。


ところがである。


今朝、地下鉄四条駅横の通路を抜けて、いつものように阪急烏丸駅に向かうと、改札の位置が大きく変わっている。以前の改札口から南に約10メートルほどのところに改札機がセットバックされているではないか。その結果、これまで改札内にあったパン屋さんは、改札外となった。ということは、小腹が空いたときに好みのパンを買って家に帰ることができるわけだ。やで、うれしや。


ところで、なぜ、こんなことが起こったのか。


市営地下鉄の採算が、どうがんばっても黒字化しないからだろう。正確に言うなら黒字化するどころか、累積赤字がどんどん積み上がっているのが実状である。その改善策として京都市は、一日あたりの乗客数を5万人増やす計画を発表している。


これがなかなかおもしろい計画で、乗客を5万人増やすといいながら、具体的な動員計画は2万5000人分しかないらしい。残り半分の不足をどうやって増やすのかは、なんと不問に付されている。気力で何とかするのかもしれない。あるいは京都にたくさんあるお寺さんに頼んで、坊さんに祈願でもしてもらうのかしらん。さすが千年の都人の考えることは奥が深く、凡人にはその真意は計り知れないということなのだろう。


もちろん地下鉄増収策は、何も乗客増だけに限定されるわけではない。四条駅のように広々としたスペースが空いているなら、流行の「駅ナカショップ」を誘致して、テナント代を徴収する手もある。おそらくは、そんな意図があっての四条駅改修と相成ったのだろう。京都市も本気なのだ。


が、ここで一つ、決定的な疑問が浮かんでくる。当初の四条駅は、どうしてあれだけの空間をムダにしていたのか。別の問い方をするなら、そもそもあの広大なスペースには、一体どのような意味があったのか。当然、設計段階で、その意味や用途などは十分に検討されたはずだ。そこを知りたい。


費用対効果、この場合ならスペース対効果を厳しく問うのは、民間では当たり前のこと。ビル・ゲイツマイクロソフトを経営していた頃、彼は、世界各地のオフィス面積と使用電気量に各オフィスの売上状況や在庫データを自らExcelを駆使してきめ細かく分析していたという。そして「面積が広くて電気をたくさん使っているくせに、どうして他の同じようなオフィスと比べて売上が少ないのだ」などと理詰めで追求したそうだ。


これは極端な例かもしれないが、費用対効果を考えるのは、民間では経営のイロハのイである。民と官では、ことほど左様に基本的な意識が異なっているということなのだろう。


そこで提案。流行の事業仕分けについて、事業の継続・廃止を判断するだけでなく、継続事業に関しても徹底したムダ取りをしてはどうだろうか。きっとずいぶんなコスト削減効果が出るはずだ。


昨日のI/O

In:
『げた履きICU
Out:
S社株主報告書原稿

昨日の稽古: