なぜ人の話を聴けないのか


もの聞かぬは腹ふくるる業なり


「聞く術」と書いて『聞術(もんじゅつ)』と読みます。といって、これは文科省認定の用語でも何でもなくて、私が勝手に造った言葉です。おそらく、今日初めて目にした方ばかりのはず。そもそも辞書にも載っていませんから。


では聞術とは何かといえば、読んで字のごとく聞く術です。この言葉がなぜ、これまでなかったのかということが、今日からのシリーズのお題です。


言葉、用語が存在しないということは、その言葉が指し示す考え方がないということでしょう。『聞術』という言葉がない、なんとなれば聞術という考え方がないからです。すなわち、聞くことが技術として意識されたことはほとんどなかった。なぜなら聞くことは、誰でも簡単に、自然にできると考えられているからだと思います。


ここで『話し方』、あるいは『話術』との違いが浮き彫りになります。


世の中には話術があり、話し方教室があります。話し上手、話し下手という言葉もあります。しかし、聞術はない。聞き方教室は、検索してみると最近は少しあるようです。しかし、まだまだ一般的とはいえません。


話し上手、話し下手とは確かにいいます。一方で聞き上手という言葉もあります。ところが聞き下手とは滅多にいわない。なぜでしょうか。


なぜ聞き下手といわないのでしょうか。


それは聞術と同じく、聞き下手という考え方がないからです。つまり、聞き下手な人などいないと考えられているからです。裏を返せば誰もが聞くことはぐらいは自然にできると無意識のうちに思っている。ここに大きな問題があるんじゃないかと思うわけです。


明日に続く



昨日のI/O

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『読書の旅』森本哲郎
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兵庫医療大学・山崎教授インタビュー原稿
S社様 株主報告書原稿
古川佐賀県知事 インタビュー原稿

昨日の稽古:

懸垂・腹筋