なぜ人の話を聴けないのか4


聞くことの難しさ


なぜ話を聴くことが難しいのかといえば、大げさに言えば人間の性、が絡んでいるように思います。


徒然草』で兼好法師は「物言わぬは腹ふくるる業なり」と喝破しました。黙っているのは苦しいものです。だから、寡黙な人がいることは間違いないにせよ、多くの人は話好き。自分の言うことは聞いて欲しい。しかし、聞くことはまだ聞こうという意識があるからましにせよ、聞かされることは好まない。


ふんふんと聞き流しているだけならまだしも、じっと相手の話を真剣に受け止めて聴く、なんてことになると、すごく疲れます。


私の場合は、それを仕事として選んでやっているので好き嫌いはいえません。おそらく人の話を聴くのが、平均よりは好きなんだと思います。だから続けられているのでしょうが、それでも話を聴くときは真剣勝負です。だから聞き終わったときには、結構ぐったりしています。それぐらい集中しているわけです。


もちろん聞くための技術を自分なりにいろいろ学びもしました。世の中には私のようなインタビュワー以外にも聞くプロがいます。カウンセラーと呼ばれる方たちで、この人たちは主に相手の悩みをひたすら聞いてあげることが仕事です。聞いて聞いて、その中から悩みを癒すヒントを見つける。


私のように自分の興味本位で聞いていればいい仕事より、さらに高度な聞く技術、相手に寄り添いながら聞く技術、まさに聞術を求められる人たちです。その人たちのための手引き書を読んでいろいろと勉強したりもしました。


そうやって聞くことについて意識を持ち、聞くための勉強もし、さらに実際に聞く仕事を続けているうちに、やはり「聞く技術」が大切なのに、聞く技術はないじゃないか、と思うようになったのです。


聞術は誰も教えてくれない


このエントリーの最初で話術はある、話し方教室もある、これに対して聞術という言葉はないと書きました。聞き方教室は最近、少しできてきたようです。これは良い傾向であると共に、悪い傾向でもあるなと思ったりします。


良い傾向だというのは、皆さんが「聞き方」について意識を持たれてきたんだろうなと思うからです。聞くことの大切さが少しずつ、わかっていただけるようになってきた証拠でしょう。


逆に悪い傾向だと思うのは、あえて聞き方を学ばなければならないということは、聞けない人が以前より増えているのではないかと考えるからです。もう少し深読みするなら、聞き方教室がビジネスになると考える人がいるぐらいに、聞けない人、聞き方を学ぶべき人が増えているんじゃないかと言うことの表れなのかと思うのです。


ここで例えば、小学校時代のことを思い出していただきたいのですが、学校で聞き方を習ったという方は、まずおられないのではないでしょうか。少なくとも私の小学校時代は、というと今から40年以上前の話になりますが習わなかったし、中学、高校時代も教わった記憶もありません。


その後、大学でも学んだ記憶はないのです。だから「聞術」を教わった人は、まずいないと考えて良いのではないでしょうか。その背景として考えられるのは、そもそも先生の話の聞き方などを学ぶ必要はなく、先生の話は黙ってじっと聞くものだという暗黙の了解があったということ。


私が幼い頃には、学校の先生の話はじっと聞くものだと親からしつけられました。さらには年長の方、目上の人が何かを話しているときには、きちんと相手の顔を見て、真剣に聞かなければならないと教え込まれました。そうした幼少時の訓練が廃ってきているようにも感じられます。


そうした訓練を受けずに育つと、さらに聞けない人が増えるのではないか。そんなことを思います。



お詫びとお知らせ
「聞術」を自分の造語みたいな書き方を、このエントリーシリーズの最初でしました。しかし『聞術』を今日調べたところ、すでに何人かの方が、私以前にこの言葉を使っておられるようです。さらにある方から教えていただいたのですが『<聞く力>を鍛える』伊藤進という本が講談社現代新書から出ており、この中で著者の伊藤進氏が「聞術」がないこと、聞き下手という言葉がないことの意味を説いておられるとのこと。早速読んでみたいと思います。
とりあえず聞術、聞き下手などについて、いかにも自分が第一発見者みたいな書き方をしたことについて、ここにお詫び申し上げます。



昨日のI/O

In:
『文章のみがき方』辰野和男
Out:
S社様株主報告書原稿

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