2者間関係での逆の見方の大切さ


フォーリン・アフェアーズ・リポート2010年8月10日発売号

フォーリン・アフェアーズ・リポート2010年8月10日発売号


このエントリーは、R+さんから送っていただいた献本『フォーリン・アフェアーズ リポート2010 No.8』についてのレビューです。

「中国が何をしないか」のリストを3〜4分にわたって説明した(フォーリン・アフェアーズ・リポート2010 No.8、60P)


一体何のことかといえば、北朝鮮問題についてアメリカのシンクタンク会長と中国人民解放軍高官との会談での話。朝鮮半島での有事の時に、北朝鮮の同盟国として中国は、何をするのか。シビアな問いに対して中国軍の高官は、何をするかは明かせないが、何をしないかなら説明できると答え、やらないことリストを述べたという。


北朝鮮は、厄介かつ危険な隣人である。その厄介さ、危険さは、いよいよ現体制からの後継者が見えてきた段階に入って、さらに増しているのではないか。その証の一つが、韓国船の爆破だろう。


この事件が起こったのが、今年の3月末。当時の状況は、次のようなものだった。

北朝鮮が6者協議に復帰する可能性は高いと見られていた。中国は、交渉テーブルへの復帰を平壌に強く働きかけていたし、協議の再開に向けてさまざまなアイディアを出していた。ワシントンも一定の条件が満たされれば、交渉に復帰しても良いと考えることを示唆していた(前掲誌、58P)

にもかかわらずというか、だからこそというべきか。交渉再開に反対するグループが北朝鮮内部には確実に存在しており、その一派の動きを北朝鮮トップが抑えられなかったのだ。すなわちトップによる統制が効かなくなってきているのが、北朝鮮の現状なのだろう。


その北朝鮮を中国はどう見ているか。アメリカの見立てによれば「中国の北朝鮮に対する態度には、明らかな変化が見られる」ようだ。もちろん中国政府の公式見解は「北朝鮮を支持し、北朝鮮の逸脱行為には見て見ぬふりをする路線を継続する(前掲誌、53P)」で依然として変わらない。


しかし、中国メディアには、共産党系のメディアでさえも北朝鮮を批判する記事を堂々と掲載している。これは以前にはあり得なかったこと、中国の対北朝鮮モードは、確実に変わりつつあると見ていいのだろう。


そこで冒頭の言葉に戻る。このコメントからは、実に中国らしい老獪さが伝わってきはしないだろうか。高官は

中朝は後方支援をめぐる協調も、戦略立案も、協力もしない。一般に同盟から想起されるような協調行動はとらないし(前掲誌、60P)

と語ったのだ。巧妙というか奥深いというか。


一般に「あなたは、これこれの時に、どうするのか?」とたずねられたら、普通は「私は、これこれの時には、こうこうします」と、自分が『やる』ことを答えるだろう。


こうした答え方に対して一方では「私は、これこれだけは、やりません」という対応の仕方があることには、なかなか目が向かない。しかし、当たり前の話ではあるけれど、『やる』ことと『やらない』ことを比べれば、圧倒的に『やらない』ことの方が、選択肢としては多い。


その中の一部を取りだして「これこれだけはやらない」と答える対応法に、中国的思考の深さと広さに感銘を受けた。


その感銘から、この思考法はもしかしたら、シャーロック・ホームズがいう「あるべきはずなのに、ないものに目を付ける」発想法と似ているのではないかという気づきにつながり、であるなら「世界第三位の経済大国でありながら、日本の若者は、第一位のアメリカや第二位の中国の若者のような将来に対する夢を、なぜ持たないのだろうか」という疑問が湧いてきたりもした。


このように相変わらず、読み手の思考を刺激し、拡散してくれる良記事に満ちているのがフォーリン・アフェアーズ・リポートである。しかも今号では「ヘッジファンドの実像に迫る」「北朝鮮ー内なる変化とエンゲージメント」「バラク・オバマの矛盾と魅力」の3大特集が組まれており、各特集について2つのレポートが掲載されている。一つのテーマについて二つの見方の異なるレポートを読むことは、思考の枠を広げる最良の方法の一つだ。


特集テーマに関心のある方は、ぜひ、今号のフォーリン・アフェアーズ・リポートを読まれると良いと思う。


昨日のI/O

In:
『街場のメディア論』内田樹
Out:
ノンフィクション企画原稿

昨日の稽古: