なぜビデオはyoutubeに投稿された?


先ほどテレビのニュースを見ていたら、鳥越俊太郎氏が興味深いことを言っていた。話題となっている尖閣諸島での中国漁船ビデオについてだ。鳥越氏曰く「従来なら、こういうビデオは、メディアつまりテレビ各社のどこかに持ち込まれたはずなんです(聞き覚えなので、一部に不正確な部分があるかもしれない)」


「従来なら、持ち込まれたはずなんです」とは、どういう意味なのだろう。もちろん表面的に解釈するなら、今はyoutubeがあるから、そっちに行ったんでしょうね、ぐらいの読み方になる。が、この言葉に、なぜか引っかかりを覚えた。つまり、youtubeに投稿した人物は、なぜテレビ局ではなくyoutubeを選んだのか。


と湧いてきた疑問について考えようとしたとき、もう一人のキャスターが言った。これもうろ覚えだけれど「ネットの情報は玉石混淆ですから、それを検証するのが我々メディアの役目ではないでしょうか」ぐらいの言葉だったはずだ。


このキャスター氏のセリフを聞いたときに、わかった。なぜ、投稿者氏はメディアではなく、youtubeを選んだのかが。


つまりyoutubeは玉石混淆なのだ。ということは、石がほとんどかもしれないが(あながちそうとは言えないと思うが)、中には玉が混ざっているわけだ。一方、メディアはどうか。今のマスメディアに玉はあるのだろうか。


仮に投稿者氏が今回、このビデオをどこかのテレビ局に持ち込んだら、どうなっていたのだろう。もちろん放送されたケースも想定できる、しかし握りつぶされた可能性も否定できないのではないか。あるいは公安に通報された、なんてことは想定外だろうか。


別の報道では、小泉二世議員が「国民はyoutubeで44分見ているのに、国会議員は6分しか見れないんですよ」と語っていた。この言葉の中にも、投稿者氏がyoutubeを選んだ理由が語られているのではないか。つまりどこかのテレビ局に持ち込んで、よしんば放送までこぎ着けたとしても、テレビ局による編集が入るリスクはなかったか。


ここで考えてみたいのは、次のどれが一番真実に近いのかということだろう。
1)youtubeにアップされた今回のビデオ
2)テレビ局に持ち込まれて、体裁良く整えられたビデオ
3)テレビ局に持ち込まれて、テレビ局の意図に基づいて編集されたビデオ


テレビ局に持ち込まれた場合、最低でも放送時間に限りがあるのだから、どこかがカットされた可能性は否定できないだろう。


ということで、図らずも今回のビデオ騒動は、マスメディアの終わりの始まりを告げる弔鐘だった。と思った。

昨日のI/O

In:
『活動写真の女』浅田次郎
Out:
某社イベント講演原稿

昨日の稽古:

懸垂