全力疾走の50歳



50歳


この歳になったのは今年の1月だから、もう10ヶ月ほど50歳をやっていることになる。半世紀かあ、と改めて思うと長く感じるが、かといってそれほど実感があるわけじゃない。論語によれば『知命』の歳である。とはいえやっと自分も天命を知った、なんて偉そうなことは、とても言えそうにないのが正直なところだ。


ただ、それは自分がそうだというだけで、世の中にたくさんいる同い年の人たちが、自分と同じような考えをしているわけではもちろんないと思う。どんな人だって50年も生きてくると、その間の経験やら環境やらに大きく影響されるはずだ。読んだ本、出会った人、見てきたこと、聞いたことが50年間も積み重なってくると、そうした積み重ねが一人ひとりに決定的な違いをもたらしているだろう。


自分とまったく同じ生年月日の人だって、確実に何十人かはいるはずだ。まったく同じ歳月を、同じ日本という国で過ごしてきた人と自分を比べてみただけでも、たぶんびっくりするぐらに違っているんじゃないだろうか。外見も、内面も、体型も、考え方も。当たり前の話といえば、それまでだけれど。


では、中学高校時代を共に過ごした同級生はどうなのか。やはり、まったく違うんだなあということを、つくづく思い知らされた。もう少し正確に表現するなら、あまりの違いに目を見開かされたといった方がいいのかもしれない。それはまるで、ぬるま湯のシャワーを心地よく浴びていたら、いきなり氷水をバケツで頭からぶっかけられたような感じだった。


ある目的があって、ひとりの同級生へのインタビューをしている。9月に一度、そしてつい最近二回目。彼は経営者である。売上にして300億円ぐらいの企業のかじ取りをしている。社長に就いたのが10年前のこと、ただし当時はまだ会長が、実質的な権限の多くを握っていた。そして3年前にドラスティックな改革に手を付け、自分でイニシアティブを取るようになる。


その彼に
「これから先10年後にはどうしてる?」
と尋ねたら、返ってきた答が
「もう、ハッピーリタイヤメントしてる。絶対に。じゃなきゃ死んじゃうよ」だった。


そして
「社長になってからの数年間はそうでもなかったけれど、この3年は全力疾走しているから。倒れそうになるたびに、無理矢理、酸素吸入して、またムチを入れる。つんのめりそうになりながらも、とにかく前へ。そんな感じでやってるからなあ。それほど長くは保たないと思うよ」
と続けた。


差が付くといえば、これほど強烈に違いを思い知らされたこともない。だからといって、これまで自分がどんな生き様をしてきたのかと過去を振り返って、後悔したところで何も始まらはしない。自分が生きてきた50年の結果が、今の自分であることだけは、絶対に確実な事実なのだから。


あと、どれぐらい生きることができるのだろうか。10年か、20年か、もし幸運に恵まれれば、30年ぐらいは大丈夫なんだろうか。自分の余生がどれだけ残っているのかなんてわかるはずもない。ただ、今から自分が、彼のように全力疾走で突っ走ることができないことはわかっている。


でも、どこまで行けるのかはわからないけれど、進めるだけは、進んでみようと思った。ようやく進みたい道が、少しははっきりと見えてきたのだから。



昨日のI/O

In:
『村上朝日堂はいほ〜!』村上春樹
Out:
京都大学・苧阪教授取材原稿

昨日の稽古:

ナイファンチ、肩胛骨、大腰筋、腹筋