子ども時代の遊びが育むもの


毎日たっぷり3時間ほど


学校から帰ると遊んでいた。小学校4年生の頃のお話しだ。だから、今から40年ほど昔のことになる。当時、京都は伏見の団地に住んでいた私は、学校から帰ると、ただちに公園に走っていった。とりあえず、そこに行けば誰かがいる。


学校から帰ってくる時間を考えれば、まず確実なのが、年下の子たちだ。その子たちに、偉そうにいろいろ命令しながら、砂場で遊んだり、ビーダン(ビー玉遊びですね)をしたり、メンコの取り合いで遊ぶことしばし。


「今日は、グラウンドに行くぞ」と宣言する上級生の登場だ。本格的な遊びは、たいてい6年生が仕切っていた。その人が「今日は野球」といえば、公園での三角ベースにになり、「グラウンド」といえば、前の野球グラウンドでの缶蹴り、もしくはかくれんぼを意味した。


夏休みには「4時からゲンジ取り」というエキサイティングな遠出をしたりもした。団地から桃山御陵明治天皇陵ですね)まで、子どもの足で30分ほど。えっと、確か鎖を乗り越えて、参道を奥に進み、道から外れたおっきなクヌギの木を蹴飛ばしたり、ゆすったりしては、落ちてくるゲンジ(=クワガタムシ)を取っていた。


ちなみに、桃山御陵からは同じく参道(=たぶん立ち入り禁止だったような)が桃山城まで続いていて、その途中にある大きな池には、巨大ナマズがいる、などという話もあった。そのあたりの藪の中にも、ゲンジの木があったはずだ。


というように、子どもの頃の遊びには、二つの大きな特長があった。一つは、年の違う子どもたちが集まって一緒に遊んでいたこと。もう一つは、たいてい家の外で遊んでいたことである。そして、この二つは、今の子どもたちの遊び環境と大きく違うように思う。


それが、今の若い人たちの想像力欠如につながっている、というのは、あまりにも乱暴な推論だと自覚する。なので、自分の子どもの頃の遊びによって、どんな経験をしていたのかを振り返ってみる。


一つには年齢の違う子どもと一緒にいたこと。年上の兄ちゃんは、よく理不尽なことをいった。早い話が「オレの言うことを聞かなかったら、どうなるかわかってるやろな」的脅しである。なぜ、そんなことを言われなければならないのか、と訝しみながらも、従わざるを得ない。子ども心ながらも、人と一緒にいるというのは、そういうこともあるんだ、と納得するしかなかった。


逆に、自分より小さい子どもは、何を言ってるのかが、よくわからないことが多かった。だからといって、むげに扱うとすぐに泣き出すので困る。一体、この子は、何をどうして欲しいのだ、と少しは考えるクセがついた。と、ここまで書いてきて、これはあくまでも、自分に限った話だと断っておく必要を感じたので、そういうことですとひと言付け加えておく。


もう一つ、外で遊んでいると、いろんなことがある。グラウンドの脇のちょっとした植え込みに隠れているだけでも、虫を見たり,木の葉っぱがいろんなニオイを持っていることに気づいたりする。御陵さんの雑木林の中、それも夜明け前のうっすら暗い中などは、結構おっかない場所である。


ただの木が、何かに見えたりする。恐い恐いと思っているからだけれど、ちょっと風が吹いて葉っぱがざわめくだけで、びびったりする。次は何が起こるんやと、いつも身構えていたりする。そんな体験が、知らず知らずのうちに、想像力を育んでくれていたのではないか。と思ったのだが、これだけじゃ、何も言えていないな。


でも、ほんとに、ちょっとした想像力があれば、そんなこと絶対にやらないでしょう、と思うことを、平気でやってしまう人が、増えていると思う今日この頃なのだ。



昨日のI/O

In:
ラバウル温泉遊撃隊』山崎まゆみ
※めちゃおもしろい本です。

ラバウル温泉遊撃隊

ラバウル温泉遊撃隊

Out:
岡山大学取材原稿


昨日の稽古:富雄中学校体育館

ミット稽古(一般部の方とマンツーマンで)
柔軟体操
基本稽古
移動稽古
約束一本組手
組み手稽古