たった一つの後悔


金曜4コマ 4共11


大学で講義を受けてきた。正確にいえば、仕事として受けた講義レポートを書くために、対象となる講義を聴いてきた。京都大学・全学部・全回生向け一般教養『自分で決定するための意思決定論入門』、講師は産官学連携本部・寄附研究部門教員/瀧本哲史先生である。


瀧本先生は、つい最近立て続けに二冊の本を出されている。『武器としての決断思考』(星海社新書)と『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)だ。なんと、二冊とも即日完売、重版決定という離れ業を成し遂げている。


さて、一体どんな講義が始まるのか。ちょっと小柄で、すこしだけぽっちゃりされた先生は、東大法学部卒、大学院を飛び越して助手採用、それを蹴ってマッキンゼーコンサルタントとして活躍、その後エンジェル投資家、京都大学から三顧の礼で迎えられ客員教授を務めた方である。が、意外に外見は、普通の人っぽい。


とはいえ話が始まると、すぐにすごい人であることが伝わってきた。マシンガントーク的な部分と、じっくり強調する部分のバランスの妙。頭に入れるべきポイントが、しっかり残る話し方をされる。早口ですっ飛ばされたところもキーワードがインプットされるような話し方なので、あとで調べようという気になる。実に巧みだ。


巧みな話し方の中身がまた、極めて刺激に富んでいる。一通りクリシンを勉強したことがあるから、馴染みのある内容ではあるけれど、先生の博学をバックボーンとした説明を聞くと非常にわかりやすい。要は考え方に着いての話であり、相手の内在的論理を知ることの大切さだと思う。


それは、さておき。


家に戻って、原稿を書くために先生のシラバスを探し、ついでに他の講義のシラバスもあれこれのぞいてみると、ああ、なんとおもしろそうな講義がたくさん揃っていることよ。基本的に過去は後悔するものではなく、過去があるからこそ今があるのであり、過去は未来に活かすべきものと思っているのだが、大学時代に勉強しなかった過去だけは後悔する。


19歳の時に、勉強できる時間はいくらでもあった。勉強できる対象は、無限に広がっていた。といって、時間を逆戻しすることはできない。これだけは残念で仕方がない。


そして、もう一つ。


武器としての決断思考 (星海社新書)

武器としての決断思考 (星海社新書)


瀧本先生の講義を聴いて、帰りに四条河原町の本屋で『武器としての決断思考』を買って、すぐに読んでみた。クリシンは勉強したけれど、ディベートは学んだことがない。だから、自分にとってこの本は目から鱗本である。


ディベートの本質は、賛成・反対で勝ち負けを競うのではなく、どちらの意見がより根拠があると思われるかにある。従って、必ず審判役の第三者がいる。そして自分が賛成側になるのか、反対側になるのかは、ディベートが始まる前に、じゃんけんで決まる。知らなかった。


クリシンとディベートはきっちりつながっているのだ。どちらも、要するにものの考え方とは、どうあるべきかを教えてくれるわけで、これを学生の時に知りたかった。瀧本先生の講義を学生の時に受けることができていたら、人生は変わっていただろうな、とつくづく思った次第。


もちろん、今からでも遅くないわけで、早速、瀧本流フローシート(『武器としての決断思考』P223参照)を取り入れて、身の回りのいろいろな問題についてメリット・デメリット分析をするクセを付けたいと思う。


あとインタビュワーとしては、「インタビューは『ナメられたもん勝ち」というフレーズも、非常に納得できた。まさに仰るとおりだと思った。


それにしても、吉田南4共11って、たぶん5年間で1回しか入ったことがない教室じゃないだろうか。確か、このあたりの教室で、故・森毅先生のテストだけ受けた記憶がある。めちゃくちゃ難しいというか、そもそも何を問われているのかがわからない数学の問題があって、答には「自分なりの、おいしいカレーの作り方」を一生懸命書いて、それで、確か良だか可だかをもらったような。


ああ、大学時代。もったいないことをした。



昨日のI/O

In:
京都大学・瀧本哲史教授講義
『武器としての決断思考』瀧本哲史
Out:
さくらクリニック・プロット
中谷巌氏・プロット
ドクターネット取材ラフ原稿

昨日の稽古:

懸垂、ジョギング