才能には差がある、当たり前だけれど。


中国でお尻を手術。 (遊牧夫婦、アジアを行く)

中国でお尻を手術。 (遊牧夫婦、アジアを行く)


333ページ/『中国でお尻を手術。』近藤雄生著/ミシマ社刊


この本と作者をほめる。最初に断っておくけれども、近藤さんは、私の仕事仲間である。理系ライターズ『チーム・パスカル』のメンバーだ。だから仲間が、仲間をほめるのは嫌らしいことだとわかっている。それでも、このブログを読んでくれている方なら、きっと近藤さんの良さをわかってもらえると信じて書く。



さて、今どきの単行本としては、かなりなボリュームである。が、手にとって読み始めて、これはまずいと思った。ちょうど何本かの締め切りを抱えていて、こんな大作を読んでいる時間などない。時間はないのだが、先を読みたくて仕方がない。文章が生きている。その生命力にぐいぐい引っ張っていかれる。


だから、原稿を一本、一段落させることができたら10ページだけ読んで良いことにした。なんと現金なもので、そうなるとやたら原稿の進みがよくなる。ごほうびをもらいたくて、計算ドリルをがんばってた小学生の頃を思い出した。といっても、決して手抜き原稿を書いたわけではないので、クライアントの皆さまにはご心配なきように。


先週土曜日に、東京で一日研修の講師をさせていただくことになっていたので、そこまでは『ごほうび10ページ』作戦で読むことしかできなかった。が、無事に講師を務め終えて帰ってきた日曜日、今日はのんびりするのだとキッパリ決め、背筋を伸ばして読み始めた。


好きなだけ読んで良いとなった時点で、今度はあえてゆっくりと読むようになった。残りページが減っていくのが惜しい。この人の書いた文章と過ごす時間を、もっと大切にしたいと思ったのだ。これぞ文才である。


もちろん描かれている内容が興味深いことはいうまでもない。東南アジアから中国南西部は、個人的に非常に興味を持っているエリアである。とはいえ、その地でスリリングな大事件で次々と起こるわけではないのだ。むしろ書かれているのは、淡々とした日々の出来事であり、出会った人のことであり、奥さんとの会話である。その文章に滋味があふれている。


ずるいなあと思った。


近藤さんには、明らかに文才がある。文才を活かす仕事を選び、文才を開花させるための理想的な修業を積んだ。『旅に暮らす』ことだ。単にあちこちを旅人として通り過ぎていくのではなく、滞在先で腰を据えて暮らす。そして、そこで、その土地に暮らす人から話を聞き、文章にする。


これこそは、文才を持った人が、その才能を伸ばすための最高の修行法ではないか。しかも近藤さんは若い。大学院を出て、直ちに旅に出たというから、文章修業に取り組んだのは20代半ばのこと。みずみずしい感性で自らの中に吸い込んだものを、丹念に言葉に置き換えていったのだろう。その成果が、先を急いで読むのが惜しまれる文章に結実した。


人には持って生まれた才能がある。とはいえ、自分がどのような才能を持って生まれているのかは、そう簡単にわかるものではない。自らが授かった才能に気づくことができれば、それだけでも幸せな人生といえるだろう。その才能を活かせる仕事と巡り会えるのは、僥倖に近いと言っても良いぐらいだ。さらに、その才能を活かすべく鍛錬できる人が、何人に一人の割合でいるものだろうか。


しかし中にはいるのだ、そういう人が。恵まれた人たちの一人が近藤さんだと思う。「恵まれた」などと言えば、近藤さんは怒るかもしれない。もちろん、ただ強運なだけではなく、幸運の女神の前髪をしっかり掴み取るだけの心構えを持ち、さらにたゆまぬ鍛錬を続けたからこその一冊であることは十分にわかっている。


でも、正直、うらやましい。なまじ自分が同じ書くことを生業としているだけに、才能の差を痛切に感じる。それは当然、自分だってこれからも書くことを続けていくわけで、だから少しでも良い文章、分かりやすい文章を書けるようにがんばるつもりではある。けれども、持って生まれた才能の差は、いかんともしがたいですよ、本当に。


本当に、誰もが村上春樹になれるわけではないのだから。才能って、そういうものだと思う。その近藤さんが、あるいは近藤さんだからこそと言うべきなのかもしれないが、ミシマ社さんと出会ったことも、理想の出会いとなった。元々ブログに書かれていた文章を読んではいたが、それが本に仕上がったときには、文章がさらに何倍も磨き抜かれていた。これは優れた編集者が付いたからこその完成度といえるだろう。


旅好きな方、中国や東南アジアに興味のある方は言うまでもなく、何より良い文章を読むことが好きな方には、自信を持ってオススメできる一冊だ。



昨日のI/O

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EAP研究所
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懸垂、加圧スクワット