物書きになりたかった


おそらく中学2年生の時


初めて物書きになりたいと思った。堀辰雄の小説を読んで、作家の生活に憧れたのだ。といっても、それは「物書きとして食べていく」ことをイメージしたのではなく、「物書き的ライフスタイル」が何となくかっこいいと思っただけに過ぎない。


ただ、物書きになるためには本を読まなければならないと考えた。幸か不幸か、大阪の枚方から京都の伏見桃山経由で奈良まで通っていたゆえに、通学時間は電車に乗っているだけで1時間20分ほどある。一日3時間弱、混んでいる電車に座ることはなかなか難しい。立っているなら眠ることもなく本を読める。中学高校の6年間でたくさん本を読んだ。


時は流れて10年後、再び「物書き」になりたいと思った。


当時、印刷会社の営業マンをしながら、仕事を楽しむことができず、毎日を悶々として過ごしていたのだ。そんな時に村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読んで、ライターなる仕事があることに気がついた。それまでは「物書き」といえば作家だけを意味していた自分にとって、これは目からうろこ的発見だった。


世の中には作家になる以外にも、書く仕事があるのだ。小説家になることは難しいとしても(今でも諦めてないけど)、何かを書いて食べていくことはできるのではないか。そういえばコピーライターなんて、ちょっとしか字を書かないのに、法外なギャラをもらっているらしいではないか。


などと考え、印刷会社をさっさとやめてデザイン事務所に潜り込み、見よう見まねでコピーもどきを書き始めたのが、今から25年前のことだ。それから四半世紀、ずっと書き続けてきた。未だに下手だなあと悲しくなることがある。でも、そう自覚できることは、自分の目指すところが、今より高いところにある証だと、自分に都合よく理解することにしている。


ただ、書いてきた時間だけなら既に、プロになる条件といわれる10万時間は超えている。だからこそ、曲がりなりにも書くことで生業を立てることができているのだろう。


そこでライティング講座である。


去年の春、主宰者の曽和さんに声をかけてもらって、これは絶好のチャンスだと思った。人に何かを教えようと思えば、まず誰よりも自分がしっかりと理解していなければならない。書く仕事に就いて以来、文章読本や作文術の類は結構たくさん読んできた。でも、読んだら読みっぱなしであり、それらを体系的に理解したわけではない。


ここで、これまで読んできた文章術を、自分なりにまとめることは、何より自分にとって最高の文章講座になる。そう思って引き受けた。実際、その通りになった。


あぁ、こういう流れで書くとわかりやすくなるのか、とか。言葉はこのように選ぶべきなんだとか。テクニックは言うまでもなく、そもそも書くとは、どういうことなのかを改めて問い直す機会にもなった。文章について書かれた本を、さらに何冊も読み、新しい発見があった。


そんなことを教えるなどと偉そうなことは申しません。ただ、自分が知っていることをお伝えしたいと思います。過去2回のシリーズを通じて、少しずつ内容をブラッシュアップし、今回は構成も一部変えました。文章を書くことは、自分の頭のなかにある考えを外に出すことであり、それは自分と向かい合うことです。


自分の手で書かれた文章は、自分の中から出てきたものなのです。「それ」と向きあうひとときは、意外に楽しいと思います。書くことに興味のある方は、ぜひお気軽に。まずは無料の体験講座からお越しください。
http://asageiko.jp/taikenkoza/


昨日のI/O

In:
『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』村上春樹
Out:
帝塚山大学・某准教授取材原稿
某大学院・教材原稿

昨日の稽古: