情報量の違いが理解の深さにつながる


視覚は後頭葉、聴覚は側頭葉


視覚と聴覚では、脳内で処理に関わる場所が異なる。ちなみに視覚を司る後頭葉は、大脳の4つの大脳葉の中で最も小さく、最も後方に位置する。


諺に曰く「百聞は一見にしかず」。あるいは人間が日常的に情報量として脳がインプットしている割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚1.0%との説もあるようだ。いずれにしても情報の多くが視覚を通して入ってくることは間違いないのだろう。


ただ、同じ視覚とはいえ、リアル空間とバーチャル空間では情報入手量が格段に違う。そんな話を脳科学者(脳トレでお馴染みの)川島隆太先生に伺ったことがある。誰かと面談する時、実際に面と向かい合って話すのと、テレビ電話やスカイプを通じて話すのとでは、伝わる情報量のケタが違うそうだ。


リアル空間で見ている画像は、途切れることなくつながっている連続体である。テレビや映画のように1秒間を何十かのフレームに区切った映像とは、根本的な質が異なる。


脳は、視覚を通して入ってくる圧倒的な量の情報をいったんすべて受け入れる。ただし受け入れた全情報を処理しているわけではないらしい。必要に応じて(どんなメカニズムなのかはわかっていないようだが)適当に間引いたり、つなぎあわせたりして処理している。


とはいえインプットはしているから、サブリミナル広告に効果がある。あるいは意識に上ることなく処理された情報が、不意に蘇ったりする。


要するに誰かと対面で会話を交わしている場合、そこでやりとりされている情報量は、膨大なものとなる。話し言葉は音声情報だが、視覚からは相手の表情や仕草、微妙な体の動きなどが入力されている。話し言葉によるコミュニケーションは、言葉だけでやりとりがなされているわけでは決してない。


ところが、書き言葉によるコミュニケーションの場合、伝えられる情報量は、モニターに表示されたテキストだけだ。それだけではこぼれ落ちる感情を、なんとか伝えようとして絵文字が作られたのだろう。とはいえ絵文字も、結局はテキストデータでしかない。


「あんたなんかきらいや」


文字にすれば、わずかに10文字の言葉は、テキストとして表示されれば、わずか数バイトの情報でしかない。ところが目の前でこの言葉が発せられた時に、相手が受け取るのは、もしかすると何テラバイトもの情報となる。伝わる情報量に圧倒的な違いが生まれるのは当然だ。


だとすれば、話すように書けというのは、根本的に間違っているのではないか。話し言葉と書き言葉の本質的な違いをわきまえた上で、テキストで何かを伝える時には細心の注意を払うこと。これが、可能な限り誤読を抑えるために、最低限必要な心構えだと思う。


昨日のI/O

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